秋の山は楽しい。

十月の連休に差しかかるころ、友人夫婦に鳳凰三山に行くけれどいかないか、と誘われた。長坂方面から望む鳳凰三山から甲斐駒ヶ岳に連なる稜線を歩きたいと思っていた矢先、自分だけ途中から甲斐駒に向かう我がままを許してもらって、一緒に出掛けた。
のんびりと歩くのが好きだ。コースタイムを越えて歩くと得した気分がする。そういう時には、わたしを楽しませてくれるものがたくさんあったのだ。若い時 分はバタバタと歩いていたけれど、考えてみたら景色を楽しむために山に行っているのだから、ゆっくり味わった方がよいはずだ。美術館を走って出口までの所要時間を 競ったりはしないし、友人の美味しい手料理を早食いする気はわたしにはない。だから山を歩くことだって時間をかけてゆっくりと味わう。苔からすっと立ち上 がった花弁に見惚れ、下ばかり向いて歩くのに飽きると高いところの葉が黄色く染まっていくことに口を開いて眺める。ひとの口は上を向くと開くようにできて いるのだから仕方ない。きっと神さまが何かしらの意味をつけてこういう仕組みにしたのだろう。ないしはうっかりしていたか、どちらかだ。

 友人夫婦は追いついてこないところをみると、同じように口を開けてゆっくりしているのだ。興味の近い歩く友人が見つかると、山の楽しみはコトンと変わる。

愉快な植物が続く回廊は見るもの、聴くものがたくさんあって忙しいくらい。お寺の中を歩くお坊さんのように足を交互に出しながら、静かに足をおろす。歩き禅。息をゆっくり吐いて、すっと吸う。五つ数えてゆっくり吐いて、二つですっと吸う。何回か繰り返すと、少しだけ知覚の感度が上がるみたいに、空気の温度、運ば れる香りを濃厚に味わえる。しっかりとした秋から冬の香りに満たされた。

高度をあげるにつれ、紅葉や赤い実を付けた樹々が増えていく。虫の世界では赤は警戒色なのに、なんで植物の実は赤いのだろう…。不思議に思ったことを、そのまま放っておくのは幸せだ。そんなに知らなくて良いもの。不思議は不思議のままがいっとう輝くのだ。

 

背の高い針葉樹林が少なくなり、背の低いシラビソや松が出始めると稜線だ。わたしには耐えられない冬の風や雪が作り出す姿は、「畏敬」という言葉を思い 出させた。「おそろしい、おびえる」と「うやまう、礼をつくす」と言葉通りの感情に囚われる。そっと手を伸ばして、触らせてもらう。なんでも触ってみる。 もちろん乾いた普通の木。恐ろしさなんて微塵もない、優しい木。

「辻山」という看板にあたった。地図を開くと景色が良いとのこと。南御室小屋に着くには少し早かったので寄り道をする。あまり踏まれていないトレイルは広葉樹の葉が積もっている。乾いた葉の踏み音!心をわしづかみだ。ひひひ。
辻山の頂上に出ると枯れた草木や岩が露わになっていて見晴らしがよい。バックパックをおろして、陽の暖かさを味わう。ほがらかでよろしい。秋はホンワカンとしないことにはもったいない。寄り道万歳だ。


西を眺めると北岳がその手足を拡げてどっしりと座っている。北岳を登っている時は急なのぼりが続くせいか、高さばかりで大きさが感じらない。正面からのたおやかさ、おおらかさ、さすが日本で二番目に高い山。とても、とても大きい。とっても。
頂上を外れて北に少し移ると、これから歩く薬師、観音、地蔵が並んでいる。ありがたい仏さま御三家の山。鳳凰三山を歩いてみると、優しさや親しみを感じるのは、きっと仏さまの名前が付いているからかしら。
とりわけ、お地蔵さまは道祖神みたいな安全のお守りみたいで近しい存在だ。本当の地蔵菩薩は弥勒菩薩が出てくるまで56億7千万年も我々をお守りになられる仕事をされている偉い神さまなので、そのせいで特別にオベリスクをちょんと載せてもらっているのだ。

友人夫婦が宿泊名簿に名前を書いているところで南御室小屋に着いた。いつの間にか抜かれてしまいました。
タープを張っていたら、小屋のご主人がやってきて褒めてくれる。「いいデザインだね、無駄がない。ウルトラライトだ」とたいそう気に入っていただき、写真 も撮っておられた。タープはデザインに無駄がなくて好きだ。機能にも無駄がない、というか色々とない。「虫はどうですか、寒くないですか?」と聞かれるこ とが多い。それはオレンジジュースの色や味を聞かれるみたいだ。オレンジ色だし、甘酸っぱいよ。

「今夜は晴れると放射冷却なので寒いだろうな。マイナスだよ。少し曇るといいね」と慰めてくれた。「寒かったら、小屋に泊まればいいさ」。寒い日はテントだって寒いのですから、風がなければ同じです。
ご飯を食べながらおしゃべり。一人は気楽で良いけれど、食事のときに話し相手がいるのは嬉しい。どんな食べ物が山では好きか、一番嫌だったトレイルは、 チョコレートについて、云々。話し出すとお菓子が飛びててくるようにキラキラしたものが出てくる。気の置けないハイカー仲間とのおしゃべりは、どんな音楽 や本より愉快になれる。食後のお茶を入れようか、という頃、秋の夜がふわっと訪れる。夏みたいに大げさじゃないし、冬みたいに足早じゃない、柔らかな一日 の終わり。

夜中に寒さで目が覚めた。星が綺麗…放射冷却の莫迦。寝袋に入ったまま、枕元でお湯を沸かして、プラティパスの湯たんぽを作る。思っていたよりも冷え込 んだ夜には、湯たんぽがあれば暖かく眠れる。手足が冷えるのは、体の中心部に血流を集めるためだ。お腹を温めればいい。
おなかの上に湯たんぽを乗せ、黒い空に浮かんだ星を眺める。手足が温まるまで何をするわけでもなく、しばらく時間を流しっぱなし。わたしの時間なんて意 味がない。何億年も前の光を楽しむのに、いまは刹那だ。宇宙が拡がり続ける限り時というものは生まれ、それは川のように流れていく。わたしは宇宙にも時に も、ただ浮かんでいるだけの小さな存在。あってないようなものだ。
星が瞬き始めて、うすい靄がすーっと被さるまで、手足が温まるまで。少しの時間、のんびりと。

Text by Loon