ハイキングエッセイ

初冬の八ヶ岳

2018/12/01
勝俣隆
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 みどり池の上には月明かりに写し出された天狗岳が青白く輝いている。息をするのを忘れてしまいそう。思い出したように鼻から息をすると、冬山の香りがした。

小海線が清里をすぎて長野県にはいると、それまで広葉樹に彩られた秋の里山風景が、冬の明るい枯野に変わった。広葉樹の葉はみな落ち、ときおり杉の濃い緑色だけが彩りを添えていた。
川が北へと流れていた。そうか、野辺山を過ぎると日本海へと注ぐのだ。

 二両編成のディーゼル列車が松原湖駅に停まる。わたしの向かいに座っていた登山客が読んでいた本を閉じてジップロックにしまい、年季の入ったザックの雨蓋に仕舞った。彼につづいてホームに降りると、ひんやりとして、からりと乾いた風が北から吹いていた。

稲子湯さんで荷支度を整え、登山届けを出してからあるき出す。すぐに硫黄の香りがしてきた。登山道の脇の流れが草や石を茶色に染めている。
みどり池までは林道と登山道が何度も交差して進む。林道の方は、昔のトロッコ道で傾斜が緩やかな分、スイッチバックして進む。あるきやすくて、いつもはそちらを選んでしまう。今年は台風の影響で通れないところがあるらしい。登山道をまっすぐに、ゆっくりと歩を進める。息を弾ませないよう、足音を立てぬよう。
立ち止まると、遠くで啄木鳥なのか、コツコツ、コツコツコツと何度も幹を叩く乾いた音か聴こえた。灰色の小鳥がチュルチュルと鳴きながら勢いよく、目の前を横切った。なんの鳥か分からないほど素早く。
遠くで風の音が聴こえたかと思うと、頭の上の杉の梢をいたずらするように揺らして駆け抜けていく。冬の山は賑やかだ。

すでに葉の落ちた森には、木立を抜けて太陽の光がよく射し込んだ。まだお昼をすぎたばかりなのに、もう夕方みたいな色。それでも陽射しは暖かかった。日陰に伸びた霜柱は、春まで溶けないのじゃないかと思うくらい、しっかりと立ち上がっていた。踏むのが可愛そう。

気温は0度を下回っていた。メリノウールのカットソーにウールシャツを着ていても、日陰が続くと寒いくらい。休憩すると体温が奪われそうで、息を整えてから登山道と林道を登ってゆく。
「しらびそ小屋まであと2分」と書かれた看板を見つけると、あとは平たい道となった。せっかくの愉快な道だからと、ゆっくり進むことにする。西日が苔を立体的に浮き立たせると、森が金色に輝いた。苔に触れるとふかふかの犬の毛のようで暖かく、心地よい。

森の中のテントサイトに着くと、二人用の山岳テントがひと張りあるだけだった。家主はすでにテントの中のようで、登山靴が二足、きれいに前室に並べられていた。
三連休であっても真冬の寒さと聞けば、好んで泊まりに来る人は多くない。受付で二泊すると告げると「本当に?」と言われたくらいだもの。
小屋の前のみどり池の半分は凍っていた。天狗岳の影のところだけ溶けないらしく、氷の形はどことなく天狗岳がぱたりと倒れてきたみたい。早々と太陽が山の背に帰っていった。まだ3時半だ。夏ならこれからだと言うのに、初冬の山は店じまいが早い。厳冬期と言われる2月のほうが日が長いのだもの。


そして長い夜がやってくる。夕方5時にはまっくらで、あとは朝まで寝袋の中。
寝袋の国は暖かい。ラジオのスイッチを入れると、関西の局を拾っていた。いつトイレに行こうか考えあぐねながら、本を読む手は冷えるばかり。冬の愛おしい夜。大きな風が木々を揺らしながら通り過ぎてゆくのが聴こえた。

夜中に目が覚める。ツェルトの生地に影が写っていた。寝袋から這い出して外に出ると、まあるい月がひときわ明るく、木々のすき間の青黒い空に浮かび上がるところだった。月明かりにつられ、池へと向かう。吐く息は真っ白で、そのまま凍りつきパラパラと地面に落ちるようだ。
きんと凍った夜の山に溶けてしまいそうな希薄なわたしに比べて、足元から伸びる影は日中よりも濃かった。影は月夜を謳歌してわたしの先を進んだ。
みどり池の上には月明かりに写し出された天狗岳が青白く輝いている。息をするのを忘れてしまいそう。大きく息を吸いこむと冬山がわたしの身体に入っていった。

すっかり朝日が上がったテン場をあとにする。小屋に泊まった人は早々と夫々の山に向かったらしい。今夜もここに泊まるわたしの荷は軽かった。
息を切らしながら急登を終え、中山峠に着く。海尻の村の人は、ここを抜けて諏訪、岡谷まで歩いたらしい。黒百合ヒュッテはここから近い。
天狗岳に向かうと、西側からは冷たい風に吹かれる。八ヶ岳の冬はいつもそう。

冬の縦走では頰の片側だけ凍傷に掛かりそうになる。首に巻いていたバラクラバをきちんとかぶる。粉雪が岩に降り掛かっていた。滑りそうでこわい。
本当のところ、天狗岳に向かわなくても良かった。目的は黒百合ヒュッテのケーキ。天狗岳は腹ごなしのつもりだった。
うっすらと雪化粧をした天狗岳ははっとするほど美しい。うっすらと白く飾った姿はまるでモンブラン。アルプスではなくケーキの方の。粉砂糖が掛かっている姿が山のモンブランを模していて、粉砂糖が掛かっていないのはただの山だ。そんなケーキ、「ニュウ」だ。

頂上ではふしぎと風が止んでいて、陽差しが暖めてくれる。何組か休んでお昼をたべていた。すみに腰を下ろし、西天狗岳をぼんやりと眺めながら持ってきたお茶をすする。あちらの頂上にも色とりどりのジャケットが見えた。さっにまでくっきりと見えていた北アルプスは、少しずつ霞んできた。わたしの頭の上にも綿菓子製造機から生まれたばかりのふんわりとした雲が流れてゆく。

黒百合ヒュッテに向かって降りるのは愉快だけれどすこし厄介だった。岩に粉雪が吹きついて滑りやすい。転んだら痛いやつ。両手を使って岩を伝い降りる。
ときおり振り返ってみては、名残惜しそうに眺める。青い冬空を大きく専有している天狗岳の両峰が白く輝いていた。冬の天狗は夏よりも存在感が大きい。

黒百合ヒュッテの小屋の中でぬくぬくと苔桃マフィンとココアを飲む。コケモモジャムが甘酸っぱい。ココアの甘みが身体に染み入る。冬はココアだよ。さっきまで風に吹かれていたのが嘘みたい。


お昼すぎの山小屋は、入れ代わりお客さんが訪れ、食事を注文してゆく。カレーラーメンをお待ちの方〜。
そんな様子を眺めていたら、昨日、シラビソ小屋で見かけた方が居たので声をかける。クラシックカメラが素敵で覚えていた。これから小屋に戻ると言う。同じコースですね。では、のちほど。
シラビソ小屋にむかう。あそこにもチーズケーキがあるのだ。まってろ、チーズケーキ。

もう少しで本格的な冬の八ヶ岳になる。ちょうど70年前の12月に登山家の芳野満彦さんが遭難している。彼の登山記「山靴の音」読み返すと、稲子湯から入って、本沢温泉を抜けて稜線に出てから、赤岳を目指し、下山時に遭難した。八ヶ岳にはたくさんの物語がある。この黒百合ヒュッテを作られた米川つねのさんのお話も素敵だ。

しらびそ小屋にもどりチーズケーキを食べてひと心地つくと、ストーブのぬくぬくした暖かさに癒やされつつ、本棚を物色して読書タイム。
バスの時間まで余裕がありそうで、さらにお茶とかりんとうをいただきながら、窓越しに天狗岳を眺めてぼんやり。10時を過ぎると、山小屋の方やお手伝いの方々が休憩に集まってこられた。なんだか親戚の集まりみたい。


テントで過ごす時間も素敵だ。でも、八ヶ岳なら山小屋の時間も、また違う豊かさを与えてくれる。夏山だと次の山を目指してしまうかもしれない。日の短い初冬だからこそ、なんにもしないでお茶を啜り、山を眺める。ほんと、それで十分なのだ。

おわり

 

勝俣隆

書き手勝俣 隆

1972年、東京生まれ
ULハイキングと文学、写真を愛するハイカー。トレイルネームは「Loon(ルーン)」
アパラチアン・トレイルスルーハイクののちハイカーズデポ スタッフへ。前職での長い北中米勤務時代にULハイキング黎明期の胎動を本場アメリカで体験していた日本のULハイカー第一世代の中心人物。ハイキングだけでなく、その文化的歴史的背景にも造詣が深い。ジョン・ミューアとソローの研究をライフワークとし、現在は山の麓でソローのように思索を生活の中心に据えた日々を過ごしている。2016年以降、毎夏をシエラネバダのトレイルで過ごし、日本人で最も彼の地の情報に精通しているハイカーと言っても過言ではない。著書に『Planning Guide to the John Muir Trail』(Highland Designs)がある。

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