ハイキングエッセイ

肩の荷を下ろす〜風呂敷の旅

2018/12/22
勝俣隆
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風呂敷はシンプルなバックパックの極みとなるのか

映画にもなった「Walk in the woods」の好きなシーンがある。ホステルの先客だったギアマニアが主人公に尋ねるシーンだ。
「どうしてそのバックパックを選んだんだい?」
「そりゃま……両手で持ち歩くのは大変だからね」

そうそう、両手で持って歩くのは大変なのだ。「バックパック」というのは、背中の袋だ。日本語でも背嚢と言われていた。

「肩の荷が下りる」という言葉の初出はいつかわからないが、このコピーを作った人は肩で担いでいるに違いない。
日本では、天秤棒のように片方の肩で担ぐか、風呂敷だと大きいものなら、肩から少し下げて二の腕で担ぐ姿も見られる。小さいものは風呂敷をキャンディの包み紙のようにして、片方の肩に掛けている。現代のボディバッグとかスリングバッグじゃないか。

江戸時代のロング・ディスタンス・ハイカーの実情をコミカルに描いた「東海道中膝栗毛」に旅の出立時の様子が描かれている。
「身上残らず風呂敷包なしたるも心やすし」
風呂敷一つで旅に出るのは、江戸時代では普通のこと。
生活に必要なものをバックパック一つに詰めて歩く姿は、ロングディスタンスハイキングに似ている。

当時の装備を探ろうと原文にあたったが見つからない。現代語訳された「池田みち子の東海道中膝栗毛」に記載を見つけた。
「手ぬぐい、頭巾、脚絆、足袋、合羽、菅笠、傷薬、腹薬」とあった。リストには重量を書くべし。
当時の荷物はレインウェアや着替えがほとんどだ。食料や行動食などは道中でお弁当にしてもらえるし、そもそもベースウェイトに含まれないから、装備リストには含まれていないのは頷ける。
宿泊だと考えると、基本的な装備はデイハイクに近い。あるいはアルベルゲに泊まるカミノ巡礼者と同じだ。

実際に大きな風呂敷に現代のデイハイクの装備を入れてみる。タウンジャケット、ファーストエイド、ヘッドライトなどの細々としたギア、レインジャケットも念の為に入れる。それとおにぎりなどの食料と飲み物。
一式で七キロだった。夏の一泊装備なら余裕で詰められる。
そうだ、新しいトップキルト(360グラム)とツェルト2ロング(340グラム)、ネオエアーSサイズ(230グラム)なら合わせて930グラム。風呂敷でも行けるはず。

ひし形に拡げた風呂敷の上に装備を並べてキャンディを包むように上下を閉じて、左右を結く。納豆の藁のような形。
結くと長さが短くなって男性だと襷掛けができなくなる場合がある。そういう場合はヘアゴムで留めるとよい。ハンモックのはじっこみたいな処理だ。

担いでみる。風呂敷はショルダーストラップに相当する部分が広く、肩への食い込みがすくない。身体への密着が大きく、上半身に重さが乗っかるから歩きやすい。
ウルトラライト系のバックパックは肩に荷重が掛かる。フィット感は腰荷重のバックパックを選ぶときより気を抜けない。

ポイントは三つ、
・肩にフィットして、食い込みが少ない
・肩から肩甲骨にかけて隙間ができず、密着していること
・重心は高い位置(子供をおんぶする位置)にあること

この3つの条件を、風呂敷はらくらくクリアしてしまった。重さも200グラムだ。UL系バックパックで200グラム以下のものは、いまやほとんどない。
もう風呂敷でいいじゃんか。

風呂敷の機能は極限的に絞られている。
・ショルダーストラップは一本
・ファスナーはなし
・ポケットもなし
・もちろんチェストストラップもウェストベルトもなし
・背面パッドもステイもなし
理想のバックパック。
やったー。これで帰れるぞ。

一日、風呂敷を背負って田舎町をハイキングしてみる。歩いているうちに肩に食い込む。二の腕の上に掛けるように、すこしショルダーストラップにあたる部分をずらして背負うと良い加減だ。これなら肩もこらない。バックパックもこの位置にショルダーストラップを掛けるようにすればいいじゃないか、と思う。でも手が上がらない。肩をガッチリ押さえられていては無理もない。バックパックというのはよくできているなぁ。

ほとんど完璧に近いウルトラライトな風呂敷バッグにも難点がある。
中身がこぼれ落ちそうになるのだ。いや、落ちなかったけれど、ずっと不安に苛まれて背負っていた。後ろをキョロキョロしてしまう。
往来で落としてもアレだが、山では特に危険。無くしても、落としても、どちらもだめ。残していいのは、なんとかだけ、だ。
「行李に入れて風呂敷に包むののですよね」とスタッフの長谷川。でも、それじゃぁ、重くなる。重いのは苦痛だ。
「Trail BumのBig Turtleは250グラムなのに〜」と駄々をこねる。「カーボンの行李を作ったらいいですよ、あはは」とアドバイスをくれた。なるほど!無理。

 

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風呂敷を使っているあいだ、バックパックのことばかり考えていた。わたしが求める機能は何かということだ。
「両手を空けて運ぶこと」、基本はそれだけだ。それと、「中身が無くならないこと」。その2つがあれば良い。
そこに利便性が加わるがゆえに重くなってゆく。すべての快適さは重さなのだ。

もちろん、わたしの粗忽さや負担を少しくらいは補ってほしい。
・鍵や財布を安全にしまいたい。(鍵も財布もなくさないで歩くこと。「頂上を取るか、財布と鍵を取るか?」と聞かれたら普通は後者だ)
・スマホもなくすと面倒ごとだ
・カメラを落としたり、ぶつけたら泣いてしまう
・開け締めを楽にしたい
・水筒を手に持つのはタブー

---わたしの求めるイメージができあがる。

改めて普通のバックパックを見るとなんと心強いことか。一日、風呂敷と共にしただけで、普通のバックパックがファンシーに見える。大都会だ。
そして、たくさんの機能が付けられていることに気がつく。
ポケットは小物の整理に都合が良いようにあちこちについていて、さらにキーホルダーが必要な人には小さなクリップを、チェストストラップに笛の機能をつけたい人のことも忘れない。
多くの人の声を聴くこと、すばらしい姿勢だ。
「このギアには、なんと、〇〇機能がありません。取り除きました!」と言うのはハイカーズデポくらいだもの。

「ない」という点で見ていくと、HMGのサミットパックはだいぶない。ないもの尽くしだ。ポケットもない、ショルダーストラップは極端に薄い。でも、どうにかなる。中身はこぼれないしね。片方で背負ってもらうと風呂敷スリングが見えてくる。むしろ、なんだか柔らかい素材でできた行李のようだ。なるほど。

 

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買いたての道具は、食材だ。加工した方が素材の旨味を引き出せることは多い。なにより、自分の好みや体調にあった料理こそが一番おいしいのだ。りんごの皮を剥く人と、そのまま食べる人がいるように。
ハサミを持つことが第一歩なのだ。

わたしには必要ないファンクションは切り取ってしまえ。

 

風呂敷は楽しい。運ぶことと、担ぐこと、バックパックと向き合う姿勢を少しだけ変えてくれる。
それに風呂敷は、ひざ掛けにもなるし、タープにもなるし、グラウンドシートにもなる。巻きスカートとしても、マフラーとしても優秀だ。温泉ではバスタオルにも。
ああ、マルチツールじゃないか。

そして思う。「ああ、わたしはバックパックが好きなんだなぁ。」

Text by Loon

勝俣隆

書き手勝俣 隆

1972年、東京生まれ
ULハイキングと文学、写真を愛するハイカー。トレイルネームは「Loon(ルーン)」
アパラチアン・トレイルスルーハイクののちハイカーズデポ スタッフへ。前職での長い北中米勤務時代にULハイキング黎明期の胎動を本場アメリカで体験していた日本のULハイカー第一世代の中心人物。ハイキングだけでなく、その文化的歴史的背景にも造詣が深い。ジョン・ミューアとソローの研究をライフワークとし、現在は山の麓でソローのように思索を生活の中心に据えた日々を過ごしている。2016年以降、毎夏をシエラネバダのトレイルで過ごし、日本人で最も彼の地の情報に精通しているハイカーと言っても過言ではない。著書に『Planning Guide to the John Muir Trail』(Highland Designs)がある。

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