ハイキングエッセイ

〈hiking eseay〉みちのく潮風セクションハイキング(3)

2021/03/13
勝俣隆
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セクションハイクの楽しみ。自由に浸るひとり旅。ルートだって思いのまま。
東北の仕事ついでに、みちのく潮風トレイルを歩こうと、仙台に立ち寄る。
去年もこの時期に歩いたっけ。冬の太平洋岸は暖かくて、うっかりすると日焼けしてしまう。
さぁて、どこからスタートしようか。
前回は塩釜の先まで歩いた。本来のルートは猫で有名な田代島に行って、島を渡って鮎川から再び陸路を女川に進む。
田代島は、できればゴールデンウィークの仔猫シーズンに行きたい。
石巻の先にある渡波(わたのは)駅から鮎川までバスを見つけた。よし、バスで鮎川まで行って、女川当たりまで戻ってこようか。帰りも仙台に抜けやすい。
〈トレイルヘッドにて〉
渡波駅から乗ったのはわたしとおじさんが二人。おじさんはしばらくすると降りてしまい、わたしと運転手のおじさん二人になってしまった。
「お客さん、このまま一緒に遠くへ行ってしまいましょう」
そんな風に誘われたらどうしよう。
バカなことを考えていたら、終点の鮎川港に着いてしまった。残念。
バスの中は窓を開けても暑いくらい暖房が効いていた。暑い。ところでバスの冷暖房って、夏は風邪を引くくらい寒くて、冬は汗ばむくらい暑いのは、なぜなのかしら?
フェリーターミナルで冷たいものをば、とベンチに荷を下ろして、中に入る。フェリーのお客さんだろうか、地元の人ではない雰囲気の方とすれ違う。うん?
振り返ると、その方も振り返った。「あれ、Mさん?」マスクをしていていてお互い不確か。
Mさんは、みちのく潮風トレイルの理事をされていて、鮎川にも新拠点を作られると伺っていた。まさかこんなところでお会いするとは。
「うちに泊まってくださいよ」と奥さまからもお誘い頂いた。さすがに初日から寄り道してしまうと、もうそれだけで旅の取れ高が十分になってしまい、もう旅が終っても良いくらいだ。
ここで出会えたただけで幸せです。
トレイルは「出会いの旅」という人も多いけれど、その中には自分と向き合って、愚かな自分を再発見することも含まれる。
そう、わたしは愚かな自分に出会うのだ。いでよ。
なんと言っても、地元の人と触れ合わないほうが良い時代だしさ。
再会を約束して、わたしはトレイルに向かった。
水域の画像のようです
トレイルらしき線は、ひとけのない漁港をぬけ、町外れで急に角度を変えた。
工事中をしめす柵に沿って歩くと墓地に着く。どんつきの大きなお墓にぶつかり、トレイルがどこかに消えてしまった。「やすらかに」と大きな御影石に書かれていた。
右手の急斜面を登るとすぐに、「金華街道」と書いてある看板。ここから先はしばらく土の道が続く。ありがたい。わたしは舗装路より赤道が好きだ。
なにより、お墓を抜けるとトレイル、と言うのはなんともいいじゃないか。わたしたちは彼我を彷徨う魂なのだから。
倒木があろうとも未舗装路は良い。倒木にみちのく潮風のマークがつけられていた。
跨いで通れる木は良いとしても、迂回を強いられる倒木はなんともし難い。
木を巻いて山側につけられた、ハイカーの生々しい踏み跡を見ると悲しくなる。ハイキングトレイルは環境負荷が高い。勝手に広げて良いものじゃない。
歩く人も少なければ、当然メンテナンスする人も少ない。
スルーハイカーが10人程度なら、村の人や管理者に期待するほうがどうかしている。誰も歩かないトレイルをメンテナンスするくらいなら、もっと世のためになることはたくさんあるもの。
トレイルは受益者負担だ。と言っても利益を得るのはハイカーだけではない。
スルーハイカーが町や村で多くの人に出会いを与えれば、町の人もそれだけトレイルに価値を感じてくれる。
もちろん町で買い物すれば、それも巡り巡って、やがてはハイカーに返ってくる。
Pay it forward.
まずは歩く人が増えれば変わるはず。
「ハイカー」→「村の人」→「トレイル」の順番で意識は変わるはずだ。
誰にも会わない杉が鬱蒼と生えた登山道を進みながら、思いのままに考えを巡らせた。
日も暮れるころ、平たいところを見つけてテントを張る。歩く人がほとんどいないからこそ、キャンプしてもインパクトが少ないのが良い。
テント利用者が増えていったら、どんどんレギュレーションが増えていくのだわ。
やがて町外れにキャンプ指定地ができてゆき、ハイカーは追いやられる。大丈夫、まだまだ先の話だ。
夕飯は、アルファ米にドライのナス
Curious Spice Mixの「ドライハリッサ」を試せるメニューしようと、トマトスープをベースにした。
チュニジアのハリッサは辛くてクシャミがでそう。チリやパプリカのみならず、ガーリックにコリアンダーにブラックソルト、マスタードに、オニオンまで、辛さの連携が際立つ。
「デュカ」もふりかけちゃう。
エジプトのデュカはゴマとクミンシードでコクが広がる。最後にビーガンパルメジャン。ビーガンパルメジャンと聴いてピンときた人もいるでしょう。はい、ニュートリイーストとカシューナッツの組み合わせにオレガノなどハーブを加えたものです。
アメリカのオーガニック系ハイキングフードみたいな味ですなぁ。あとは豆とかピーナッツが入れば文句なし。
ただ、ちょっとハリッサを入れすぎたわ。辛くて痛い。痛いけど美味しい。汗が出て来て暑い。とほほ。(写真はやめておきます。ただの赤い混ぜご飯ですからね)
テントの中、灯りも点けずに寝袋から顔を出してぼんやりする。
何もしない贅沢。
風がテントをはためかせる。バタバタ。音が止むと、ときおり、ザーッと聴こえてくる。まるで波のようだ。海まですこし距離があるから、大気の音かしら。
はためくテントの音の隙間に、またザーッと音がした。これは波の音だ。風が音を運んできたに違いない。数キロ離れた電車の音が聴こえる日があるのだから、波の音が聞こえるのも当然だ。
波の音が空から聴こえる。波がテントの上を流れているようだ。だんだんと意識が遠のいてゆく。心地よい。
〈雪のトレイル〉
寒波が来た。
「冬でも歩ける」と評判のトレイルでもすっかり雪に覆われてしまい、山々は白く染まった。
トレイルの片隅にみつけた空き地で夜を明かす。寒気が訪れようとも、海岸線に近いみちのく潮風トレイルなら、雪山というほど辛くはない。
日が暮れてから日が出て明るくなるまでは、たっぷりと12時間以上ある。どうしても居住性を求めてしまう。「何を置いていくか」と考えているはずが、「何を持っていこうか」と考えてしまう。ULハイカー失格だ。とほほ。
〈冬の宿泊装備〉
寒さが予想される場合、マットを二枚持っていくのがスタンダードになってしまった。一枚はゴッサマーギアー"G4-20"の背面パッドとして使っている「山と道」のUL PAD15S+マット。三つ折りするとちょうど背面に収まるように短くカットしている。
もう一枚はサーマレスト"プロライト"ショート。どういうわけだか、お気に入り。
寒さがひどくないときは、腰のところで2枚が重なるようにし、フルサイズのようにして寝ている。寒いときは2枚を重ね、地面が奪い取ろうとする熱を最小限に抑える。厚手の半身マットみたいなもので、足もとに靴やらバッパックやら置いて寒さを凌ぐ。
サーマレストで言えば、"ネオエアー"も好きなマットで持ち出したくなるものの、あの「厚み」だとショートサイズでは過ごしやすくない。なぜか身体の下からマットが逃げてゆく。寝返りするとどこかに行ってしまうマットなんていやだわ。
 シェルターは冬と言えどもスリーシーズン。夏山と同じくゴッサマーギア"The one"にした。700グラムという重量に対しての居住性能が高い。マットを敷いても頭が支えないクリアランスがある。気温がマイナスになると、幕の内側についた結露がこおり始める。テント内が真っ白だ。高さが十分でない物を使うと、頭やら背中を幕体にこすりつけては、寝袋を霜まみれにして悲しくなる。イライラするのは勘弁。
室内が広くなれば、保温効果は落ちる。保温は寝袋に任せたい。餅は餅屋。保温は寝袋。
 寝袋は奢って、ハイカーズデポの”ウィンターダウンバッグ"を持ってきた。
マイナス5度くらいなら、シュラフカバーやダウンインナー上下、ダウンソックス、湯たんぽにホッカイロなど、一族郎党、一家総出で担ぎだせば、いつものダウンバッグでも朝まで眠ることはできる。ただ、それだけご出演いただくと、重さも結構なものになるし、なにより装備の点数が増えるのが厄介だ。旅が長くなると、ギアは少ないほうがいい。「ギア点数が多くなると、無くす回数は増えていく」のだ。忘れ物を心配しながら旅を続けるなんて苦痛だ。ウィンターダウンなら、一つで解決してくれるという。これだけ大きなモノがバックパックの中に入っていなければ、すぐに気がつく。なんとも、ありがたい戦法。
ただし、ウィンターダウンバッグはジッパーが短く、毛布のようには使えない。暖を取るならちゃんと入らないといけない。一度入ると、出るに出られぬ誘惑ダウン。
〈寒い晩には〉
天気予報を見ると明け方の気温はマイナス8度。夏用シェルターでも風が防げれば、マイナス5度くらいで収まってくれるかもしれない。
ウィンターダウンバッグはマイナス12度あたりでも使えるらしが、寒がり自慢のわたしには無理な相談。「さむがりの場合は〇〇度まで」と書いてもらいたいものだわ。
 夜中に備え、寝る前に油分多めの温かいものを食べるとするか。アルコールストーブでお湯を沸かす。トマトパスタwithハリッサで景気をつけ、食後に油分の多いチョコレートとナッツを追加する。
人間が熱を発するのは、筋肉・脳・肝臓の代謝の3つ。わたしが寝ているときに使えるのは肝臓くらいなのよね。寝袋の中で腹筋したくないし、頭を使うような悩みに気を使いたくない。寝ているときにしっかりと代謝熱を出てくれたおかげで、朝までぬくぬくに眠れた。
わたしの勝利だ。
朝ごはん用に残しておいた冷えたパンを口のなかに押し込み、えいやと抜け出る。歩き出すまでのんびりやっていたら、悲しくなって負けだ。
雪を踏みながら進む。鹿の足跡がわたしと行き交った。
雪に覆われた稜線をトレイルはトラバースする。夏道が下にあるとは言え、谷に向かって傾いた斜面を歩くのは怖かった。スパイクなんて持っておらず、慎重に歩くしかない。
もう一頭の足跡が斜面から降りてきて、二頭で対話するようにジグザグに続いていた。わたしも彼らの足取りを辿って登山口まで歩くことにした。上手に斜面を進むなぁ。
吹雪いていたのが嘘のように晴れて青空が広がっている。海が思ったよりも近かった。
寒さを忘れるくらい、クリアで乾いた空気が肺に広がった。
1人以上、自然、雪、木の画像のようです
〈町をつなぐ〉
女川駅に近いスーパーマーケット「おんまえや」さんにはお昼前にたどり着いた。店長さんのご陽気なイラストがすてき。滑りやすい雪や凍結した道路を慎重に歩いていたら、予定よりも遅くなってしまった。
イートインスペースで地図を拡げて次の行程を練る。
この先、トレイルは石投山に向けて北に進み、頂上からは東に折れて雄勝町水浜で398号線に合流する。
「また山かぁ」
398号線は海岸線をぐるりと巻いていくから、ロードウォークでも再びルートに戻れることに気がついてしまった。
『全わたし会議』緊急招集。
「これから山ルートに入ったら、日暮れまでに道路に戻れないぞ」
「薄暗い登山道に泊まりたくないよね」
「靴下も濡れているしさぁ」
「海沿いなら道路も乾いていそうだよね」
「雪は満足したし」
「寒いしはぁ」
「トレイルをしっかりトレースしたいピュアリストのつもりかい?」
「そもそも船の部分はスキップしてるじゃん」
「おんまえやさんで味噌おにぎりでも買って、電子レンジでチンしちゃおうぜ」
「さんせーい」
「おにぎりー」
「ばんざーい」
全わたし会議は、迂回ルートで可決された。反対ゼロ。わたしは仲が良い。
レンジで温めたおにぎりを懐中にしのばせ、トレイルが通らないコースを歩きだす。
心が踊りだす。ルートという足枷から解き放たれた。ルートに固執していると、いつのまにかトレイルに繋がれている気分になるのだ。
「絆」という字を思い出した。「縄で繋がれた牛」を指す。わたしの旅だ。放たれよ、わたし。
「小さな珈琲屋さん」という看板が目に入ったのは、駅前の公園から少し進んだところだった。
ログハウス風のきれいな建物で、外壁には薪が積んであった。
「ああ、ここはハイカーフレンドリーに違いない」
お店の前に立つと、年末年始の休業中であった。まぁ、そうだ。この地には正しい日本の大晦日があるのだ。
店内にはインスタントラーメンやカップ麺が並んでいた。まるでアメリカのジェネラルストアみたいだわ。スニッカーズやコーンフレークなども置いてくれたらハイカーも喜ぶだろうに。
駐車場の脇でテントを張らせていただけるといいだろうな。ああ、休日だ。残念。非常に残念。
また来よう。そして、口説いてみようか。
〈竹浦(たけのうら)〉
冬にはもったいないくらいの麗らかで柔らかな日差しが降り注ぐ。町並みが少しずつ赤みを帯びてきた。歩いているうちに、少し汗ばむくらいの心地よさ。
「竹浦」と書かれた看板の先に、高台に作られた美しい住宅が整然と並んでいた。まっすぐに引かれた道路は教習所を思わせた。どこの家にもコンクリートの張られた駐車場が誂えられていた。
その先の漁港に透き通った海が見えなければ、多摩の新興住宅街と見まちがえるかもしれない。
海岸近くから移設された「団地」と呼ばれるものだ。わたしが子供の頃に憧れた巨大な団地とはずいぶん違うものだった。
竹浦バス停留所もずいぶんと新しい。三方向が壁に囲まれているシェルタースタイルではなく、ドアまで完備されている建物だった。中に入ってバックパックをおろす。
「アルベルゲ」と呼びたいくらい居心地の良い休憩所だ。バスは年末年始休業で、心置きなく休むことができる。こんなところに泊まれたら旅は素晴らしい体験になるだろうに。ああ、残念だ。
自然、雲、水域、山の画像のようです
〈分浜〜水浜〉
12月末なんて、日が沈めばあっという間に暗くなる。
町外れでキャンプ適地を探すうちに漁港に着いてしまった。初日の出を望める高台にテントを張り、有意義で爽やかな新年の朝を迎えるつもりだったのに。
なかなか上手くいかないものである。
斜面に建てられた住宅を抜けて、漁港手前の空き地にバックパックを下ろし、キャンプ適地を探しながらぶらぶらるする。
港の反対側にあたる山側に神社があり、その脇には大きなテントが張ってあった。車から荷をおろしている。大晦日を漁港で過ごすキャンパーかしら。
コンテナの脇に隠れるようにわたしはテントを張った。周りは空き地だ。
いや、きちんと書こう。ここは津波で洗われて何もなくなった居住区の跡地。港と高さは変わらない。浸水想定区域だろう。もう人が住むことはない。
〈キャンプについて〉
三陸では民宿や旅館に泊まることもできる。ただ、わたしのハイキングの意義は、文化的な暮らしと隔たりを持つこと。キャンプは切り離せない。シェルターに眠り、高さ15センチから仰ぐ景色が好きだ。
みちのく潮風トレイルには、ハイカーが泊まるキャンプ施設はまだ多くはない。
テント泊をしようと思えば、復興記念公園の芝地にとまることもできるし、屋根のある東屋があれば、テントを張らずに寝ることは可能だ。
四国遍路での泊まり方と似ている。お遍路の歴史は長い。町の人の理解、そして歩く人の気づかい、双方が尊重しあい、記録がある限りでも800年は続いている。
「トレイル沿いの町にもキャンプ指定地があれば」と思っていた。ハイカーが泊まりながら歩くのにずいぶんとハードルが下がるだろうに、と。
残念だが現在のMCTハイカーの数と存在感では、キャンプ場を期待するのは野暮だ。町の人は他にもやるべきことがたくさんある。
ハイカーが友好的で無害であり、町や住民にとって価値があることを、こうやって歩き、泊まることを通して町の人に見てもらうしかないのかもしれない。
わたしたちは「渡り」でやってくる水鳥のようなもの。いつの間にか町外れの貯水池にやってきては、少しだけ賑やかして、人知れず通り過ぎるだけ。
明日は元旦。
早起きして日の出を見に来る町の方もいるだろう。お正月早々、見知らぬ人がテントを張っているのを見たら気分を害するかもしれない。暗いうちに発とう。
外に出ると海の上に大きな月がぽっかり浮かんでいた。
海も空も、月で照らし出された港さえも、深い蒼に染まっている。対岸の明かりが心細く輝いていた。
これまでに味わったことがない大晦日。
キャンプ場、アウトドアの画像のようです
元旦だった。
予定通り5時に起きる。スリーシーズン用テントのゴッサマーギアーThe oneは天井が高くて助かる。壁面結露はパリパリに凍っていても身体に触れることがなく眠れた。寝返りをうつたびに、テント内に粉雪が降るのは切ないもの。
今日も気温が上がることはないだろう。内幕に着いた霜は夜まで放っておいて構わない。設営のときに払えばいいさ。
キャンプの撤収を終えてバックパックを背負う。
「さて、あけましておめでとうございます」
ヘッドライトを燈して歩きだす。
港は元旦というより大晦日のように静かだ。波音だけが繰り返す。
「大晦日だ、お正月だ」とざわめき立つのはテレビの中のことで幻想ですよ。正しい田舎はお正月も静かに始まる。心地よい。
曇っていた。初日の出が出てくるであろう東方面を見ると岬が遮っている。どちらにせよ海から上がる太陽なんて見えないじゃん。
〈雄勝町〉
雄勝町に入ったの十分に明るくなってからだった。トレイルはコンクリートに固められた雄勝湾をなぞるように進む。町外れは再建が進んでいないせいか、誰ともすれ違わないし、動いているものといえば、工事現場の旗くらいだった。
工事現場の事務所には、だいたい自販機が備えつけられていて助かる。お正月気分を味わおうと缶のおしるこがないかと確かめてみるも、どこの自販機にもおしるこはなかった。いくつか自販機を見ても、コーヒーやミルクティばかりだ。ああそうか、おしるこは工事関係者には不人気なのだ。そうだよなぁ、うんうん。
道路沿いの一角にバス停を見つけた。予想通りの小屋タイプ。ようやく朝ごはんにありつけるぞ。
バックパックをおろし、まずは近所の散策に出る。おとなりは海鮮のお店だった。その奥に展示スペースなどもあるが、どこも閉まっていた。
空を見るとちょうど薄日が差し初めていた。ぼんやりしていようとも、一応は初日の出だ。防潮堤の大きな壁を抜けて港に向かった。
広々としたコンクリート打ちっぱなしの漁港に出る。海面に船がいくつかプカプカと穏やかに浮かんでいた。
階段を昇って防潮堤の上に立つ。高さは5メートルほどあるのに、その壁はずいぶん薄いように思えた。調査兵団が立てるような幅はなかった。
自販機で缶のカプチーノを買ってバス停に戻る。隣のプレハブが休憩スペースになっていることに気がつく。中を除くとテーブルが設えてあり、壁には写真やらチラシが貼られていた。
この小屋はRCC中国放送の横山雄二アナウンサーがライブで集めた基金をもとに作られたらしい。記帳ノートを開くと横山さんが毎年雄勝町に来ていることが伺えた。「天才横山」と呼ばれるのは伊達じゃない。
ノートにお礼を書いて出発する。
コンクリートの壁を右手に眺めながら雄勝の町を抜ける。住宅街は左手の高台に移され、きれいな家が高いところに立ち並んでいた。ゴルジュを歩いている気分だ。壁に守られた道路をときおり車が抜けていった。初詣でも行くのかしら。
町外れで振り返る。
コンクリートと壁に覆われた町。漁村というよりダムのようだった。
「わたしは何を見せられているのだろう」
『復興』が何を指し示すのか。自分の言語感が崩れ落ちる。
不安に捕まらないように、意識を集中して歩き続けた。
降り始めた小雨は、やがて雪へと変わっていく。トレイルは陸の孤島と呼ばれるこのエリアのどんつきに向って進んでゆく。日暮れまでに登山口まで着けるかしら。
食品、道路の画像のようです
〈峠を越えゆく〉
雪が激しくなってきた。ときおり風で折り畳み傘が煽られて閉じてしまう。傘を持つ腕も疲れてきた。
道路には雪が積もらず、ベチャベチャした足元が続く。
防水のハイキングシューズではなくて、水がしみてこないか心配だったが、辛うじて靴の中は嫌な感じがしていない。
この夏から愛用しているアルトラのオリンパスの厚底がうまい具合に働いてくれていた。ロードが長く続くパートでは足腰への負担がずいぶんと違う。あぜ道の上を通ろうものなら柔らかすぎて足首に負担が大きいが、同じくロードウォークの多いサウス・ターミナスからの100キロ区間で履いていたローンピークより腰への負担は格段に少ない。
 肩こりがつらい。傘を持ち続けているとひどくなる。休もうにも休憩できそうな屋根のある場所は無かった。どうにか峠を越えて次の集落にたどり着くしかない。景色は地面ばかり。
〈町の人〉
うつむいて道路を歩いていると、横をすぎる軽自動車が停まって、窓が開いた。
「乗っていきますか?」窓から顔を覗かせたのは若い女性だった。びっくりだ。年配の方が声を掛けてくれることはあったが、若い人は珍しい。
「ありがとうございます。みちのく潮風トレイルを歩いているので、大丈夫ですよ」と笑顔で答える。「ところで、次の集落って自動販売機はありそうですかね」
 飲水が心配になっていたのだ。地図上には水やトイレが利用できる地域センター的なものが載っているが、年始年末はどこも閉鎖していた。公園に水道栓があっても凍結防止で水が抜いてあって使えないことばかり。
「どうだろう、見たことないかも」
そうですが、いやはや。
礼を言うと、心配そうな顔をして車は遠ざかって行った。
大きなバックパックを背負って歩く人に声を掛けることは難しいかもしれない。少しでも町の誰かと話すことができれば、景色はガラリと変わる。冷たい雪も、濡れた靴も、肩に食い込むバックパックのことも忘れて、すっと軽やかになる。不思議な軽量化。
〈セクション終了前夜〉
夕暮れ前に登山道に入る手前の集落に着いた。ここから先はどんつきで、山の反対側の長面浦に続く山道があるだけだった。
幸運なことに町外れの現場事務所脇に自動販売機を見つけられた。夕飯用のミネラルウォーターも入手した。
登山口にテントを立てると、あたりは薄暗くなってしまった。まだ5時前なのに...。ヘッドライトを灯して、外で夕飯用にスパゲティを茹でる。
あとはラジオを聴きながら寝るだけ。ああ、なんという幸せな時間だろう。5日にして、生活のシンプルさに馴染んできた。
明日は山を越えて長面浦を抜けて最上川に出れば、今回のセクションは終わる。普段ならバスで駅まで出れるが、年始年末ということで町営バスはお休み。最上川沿いに遡上して最寄りの駅の鹿又駅まで3時間ほど歩く予定だ。
旅が終わるのが少し寂しい。ロングディスタンストレイルを途中で外れるのは、国内ならではの楽しみ。海外なら一度で歩き切りたいと思いがちだもの。
セクションハイキングは楽しい。
歩きはじめも終わりも自分で決められる。短編小説のようにエッセンスだけを味わうのは、作者が描いたプロットに身を委ねる長編小説とは違う味わいがある。
セクションハイキングの時間では、自分自身は大きく変わらないかもしれない。それでも楔のように心に突き刺さり、じわじわと日常生活のスパイスとなる。その感覚が好きだ。
さて、この先はどうやって歩こうか。もう次のセクションハイキングを想像している自分がいて呆れてしまう。
「スルーハイクと違って、何度も旅の支度をしないといけないのだよ」と、少しだけ嫌いなことを思い起こして心を落ち着かせる。
明日こそ、自販機を見つけたらおしるこを飲むぞ。
目を閉じると睡魔が襲ってきた。長い夜がはじまったばかりだった。
おしまい
Text by loon
湖、自然の画像のようです
勝俣隆

書き手勝俣 隆

1972年、東京生まれ
ULハイキングと文学、写真を愛するハイカー。トレイルネームは「Loon(ルーン)」
アパラチアン・トレイルスルーハイクののちハイカーズデポ スタッフへ。前職での長い北中米勤務時代にULハイキング黎明期の胎動を本場アメリカで体験していた日本のULハイカー第一世代の中心人物。ハイキングだけでなく、その文化的歴史的背景にも造詣が深い。ジョン・ミューアとソローの研究をライフワークとし、現在は山の麓でソローのように思索を生活の中心に据えた日々を過ごしている。2016年以降、毎夏をシエラネバダのトレイルで過ごし、日本人で最も彼の地の情報に精通しているハイカーと言っても過言ではない。著書に『Plannning Guide to the John Muir Trail』(Highland Designs)がある。

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