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"PHOTON II PRO"を左右の手に持って暗闇に出よう

2022/02/13
勝俣隆
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超軽量LEDライト"PHOTON II PRO"のUL黎明期のスルーハイカー的楽しみ方
ULライトと言えば、20年も前からPHOTONと相場が決まっていたものの、e-liteが出てくると電池交換の手間などや「頭につけられる」という付加価値でいつの間にか徐々に使わなくなってしまった。
いまや充電できるBINDIを愛用している。肥大化した欲望。
久しぶりに出会ったPHOTON II PROは7グラムという軽さそのままに、前よりもずいぶんと明るく照らしてくれる。
スイッチは押さえ続けなく良くなったし、ましてや電池を交換するにも精密ドライバーが要らなくなった。
(そうよね、そういう時代があったのよ)
しかも白色LEDで18時間も保つ。最初期のモデルは赤色LEDでなきゃ長時間持たなかったものだから、2006年のわたしのJMTの夜の思い出は白黒さながらに、赤い色に包まれてキャンプサイトを右往左往したものである。
既存の社会システムから抜け出るはずのハイキングの醍醐味なのに、装備が軽くなったおかげで、なんでも枠組みの外に持ち出せるようになったことら便利で、とてもありがたい。誰もいない森の中、ハンモックを張って、小型のスピーカーで音楽を聴くのは何にも増して心地よい。
軽い道具も増えて、ULと言うのはいつものスタイルを変えずして、軽くすることがいくらでもできるようになったようだ。けれども、初期のスルーハイカーのように、フォトンを左右の手に持ち、点けては消して電池の容量を確保しながら、残照で歩く楽しみは消えてしまった。
不便を克服する経験こそが、ウルトラライトを実践する楽しみでもある。PHOTONを両手に持ち、小さなライトをチカチカと明滅しながら歩く喜びと自信は、きっといつまでも消えないと思う。
text by loon
勝俣隆

書き手勝俣 隆

1972年、東京生まれ
ULハイキングと文学、写真を愛するハイカー。トレイルネームは「Loon(ルーン)」
アパラチアン・トレイルスルーハイクののちハイカーズデポ スタッフへ。前職での長い北中米勤務時代にULハイキング黎明期の胎動を本場アメリカで体験していた日本のULハイカー第一世代の中心人物。ハイキングだけでなく、その文化的歴史的背景にも造詣が深い。ジョン・ミューアとソローの研究をライフワークとし、現在は山の麓でソローのように思索を生活の中心に据えた日々を過ごしている。2016年以降、毎夏をシエラネバダのトレイルで過ごし、日本人で最も彼の地の情報に精通しているハイカーと言っても過言ではない。著書に『Planning Guide to the John Muir Trail』(Highland Designs)がある。

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