ハイキングリポート

JMT Thru-Hike 2008 (Part 2)

2008/08/31
土屋 智哉
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オーナー土屋智哉がウルトラライトな装備で歩いたJMT(ジョンミューアトレイル)の記録(その2)

(パート1より)

DAY5 〜JMT Thru-Hike2008〜

DAY5(6月19日) Lake Virginia〜Bear Ridge Trail JCT 29km

早朝のJMTは次から次へと変化が訪れる。
フラットなイメージが強いアメリカのトレイルだが、
実際は渓谷をつめ、峠を越え、また渓谷を下っていく。
時には渡渉があり、尾根を越え、様々な変化が一日の中で訪れる。
特に山並みが朝焼けに染まり、渓谷に陽が差しはじめる早朝は
景色と陰影が混ざり合って変化する特別な瞬間。
今日越える、あの峠の向こうにはどんな景色が待っているのだろう。
まだ薄暗いFish Creekの渓谷へと一息に下り、Silver Passへ向かう。
源流にあるSquaw Lakeへと川沿いに高度をあげると、渓谷は開け、森林限界を越える。
あたりは一面の雪化粧へとその姿を様変わりさせる。
白い世界を目の前に数日前の苦行が思い出され、一瞬ためらうものの、
歩き出してしまえば、黙々と足を動かすことにも体が慣れる。
何より、残雪の山々に囲まれた湖の美しさはそれを補ってあまりあるご褒美。
強い照り返しに目を細めながら、ようやく峠を越える。
開けた南の谷には雪も少なく、彼方へと続くトレイルが下方にはっきりと見える。
あと少しでVermilion Resortへのフェリー発着所。
午後の便には間に合うだろう。
Resortでリフレッシュしてきたハイカーと何組かすれ違う。
「ビールにシャワー、いいぞ! 行くんだろ?」
ささやく誘惑。
でも結局僕が負けたのは、
川沿いの木陰で風に吹かれながら昼寝をする誘惑だった。あとはBear Ridgeの急登りを残すだけだ。
夕方涼しくなってから登ればいい。
心地よい風が吹き抜ける中、お腹いっぱいの僕がまどろむまで時間はかからなかった。Lake Virginia 06:00
Tully Hole 07:00
Cascade Valley JCT 07:30
Silver Pass 10:00
Mott Lake Trail JCT 12:20
*JCT手前の渡渉は「JMTで最も危険」といわれるが、トレイルが整備されたのか、水量的にも全く問題なかった。
*Vermilion Lakeからの支流合流点付近で12:50〜14:30休憩、食事、昼寝
Lake Thomas Edison JCT 15:30
Bear Ridge Trail JCT 18:00

DAY6 〜JMT Thru-Hike2008〜
DAY6(6月20日) Bear Ridge Trail JCT〜Sallie Keyes Lakes 16km
水の補給で、川岸に足を止めた瞬間、
さわやかな朝のトレイルが、無数の羽音で台無しになる。
蚊。それも数十匹の蚊がまたたくまに顔や手足、背中に群がってくる。
後悔先に立たず。出発前に虫除けをスプレーするのを忘れていた。
もう水の補給なんていう場合ではない。
バックパックをひっつかみ、虫除けスプレーを手に走り出す。
Bear CreekならぬMosquito Creek。熊より蚊に悩まされる朝。昨日の夕暮れも蚊に悩まされた。
水場も無く、まだ陽も高いのでBear Creekまで下ることを考えたが、
とにかく標高を下げたくない。
3000mのこの尾根の上でさえ、森の中では羽音がやまない。
とにかく虫除けをぬりたくり、モスキートネットをかぶって耐える。
暖かいタープの下は、蚊柱ならぬ「蚊つらら」ができてきた。25km先のMuir Trail RanchでこのThru-Hikeもひと区切り。
全行程のほぼ中間地点にあたるこの場所で後半戦の食料補給。
今までの行程を考えれば一日でたどり着ける距離だが、
Selden Passの前後には美しい湖が幾つも連なる。
今日の午後はのんびりと湖巡り。
気持ちよい場所でタープを張って、美しい自然を借景しよう。

Marie Lake、雲と岩山の白、空と湖面の碧との鮮やかなコントラスト
Heart Lake、雪に覆われた清冽な流れ出しに足を浸す
Sallie Keyes Lakes、小高い湖畔から見渡すと奥の山並み風の吹き抜ける木陰に今日の宿を決め、
昨日とはうってかわった至福の夕暮れに浸る。

Bear Ridge Trail JCT 06:30 *10分程先に水場あり
Bear Creek Trail JCT 07:30
Lake Italy Trail JCT 08:30
Upper Bear Creek Meadows 09:00
* 上記2カ所に渡渉あり。膝上までくる初めての渡渉箇所。
Rosemarie Meadow 09:45 *10:30まで休憩
Marie Lake 11:30 *15:40まで食事、昼寝
Selden Pass 16:20
Sallie Keyes Lakes 17:50
DAY7 〜JMT Thru-Hike2008〜

DAY7(6月21日) Sallie Keyes Lakes〜Evolution Lake 32km右膝がいうことを聞かない。
油がきれた機械のようにギシギシ内側で鳴っている。
肉刺ができないよう、靴擦れができないよう、
とにかく足のケアを一番に考えてきたが、ここにきて一番恐れていたことが現実になったようだ。
数年前に複雑骨折した右足は、完治しているものの手術痕のある膝はいまでも時折腫れ上がる。
その右膝が連日の酷使と高低差800mのこの下りで悲鳴をあげはじめた。
Muir Trail Ranchにたどり着いた僕の右膝は曲がらない。
「リタイア」その言葉が僕の心に巣食いはじめた。
右膝を水で冷やし続ける僕の目の前では、
Pacific Crest Trailのスルーハイカーが送っていた食料を受け取り、パッキングに頭を悩ましている。そんな風景を眺めるともなく眺め、
ここを訪れたハイカーが書き残している「Hiker’s notebook」というファイルに目をおとす。
無数のハイカーの何気ない一言や、僕の目の前にいるハイカーの姿、
それらが僕に何かを授けてくれるような気がした。2時間半後、食料を持った友人が訪れたとき、僕の膝は曲がるようになっていた。

 

結局、また僕は歩きはじめた。
ノートに書き残されたハイカーの言葉、
すれ違うPCTハイカーとの何気ないやりとり、
そしてなにより日本で楽しみにしてくれている仲間のハイカーの声、
歩いている僕は独りだけれど、
それらが不思議な一体感を生み、ずっと僕を支えてくれている。
San Joaquin River沿いに進む僕の足取りはいつしか軽くなっていた。

雨に包まれたEvolution Valleyを抜け、
更に標高をあげていくと頭上の雨雲が突然きれた。
午後8時、目の前には雨上がりの澄んだ夕焼けの下、
茜色に染まったEvolution Lakeが僕を待っていてくれた。

これさえあれば、この先もきっと歩ける。

Sallie Keyes Lakes 06:10
Muir Trail Ranch 08:40
* 後半の食料補給のため友人と合流、12:15まで休憩、食事
Evolution Valley JCT 15:10
Evolution Creek渡渉 16:10
* JMT最長の渡渉。水量が多いと困難だが、膝上程度の水位
McClure Meadow 17:25 *18:00まで雨宿り
Evolution Lake 20:10

DAY8 〜JMT Thru-Hike2008〜
DAY8(6月22日) Evolution Lake〜Deer Meadow 32km連なる湖の他は荒涼とした大地がどこまでも続く。
草木のない岩の世界には、まだ陽も射さず、雪と陰のモノクロに覆われている。
Muir Passからの雪解け水が流れる川を何度か渡渉する頃、
世界は鮮やかな青と白のコントラストに姿を変える。
湖面はまだ凍りつき、見渡すかぎりが雪に覆われている。
川の流れが時折顔をのぞかせる時は、小さなスノーブリッジを渡る時。
緩やかな傾斜の先にはMuir Passがあるはずだが、
その姿はいつまでたっても近づいてこない。
容赦ない照り返しに目を細め、黙々と雪の中に歩を進める。
John Muir Trailの象徴ともいえるMuir Hutのシルエットがかすかに見えてきた。
動かないと思われた静寂の世界が動き始めたようだ。石積みの小さな避難小屋がシルエットから明確な姿に変わりはじめる。
ようやくたどり着いたMuir Pass、
吹く風の他は、再び時間がとまったかのような静寂に包まれていた。
今、僕はJohn Muir Trailに確かにいる。
強い実感が身体中に広がる。Muir Passは峠の両側が北に向いた谷のため、JMT中最も残雪が多い。
トレイルは完全に雪の下に埋もれ、彼方までその姿は目に入らない。
雪の斜面を下り、何度も渡渉を繰り返しながら高度を下げていく。
谷が南東に向かう頃、ようやく緑があらわれ、トレイルも時折顔をのぞかせる。

Le Conte Canyonに進むと、トレイルは夏、生命感あふれる世界。
緑の木々と川の流れを楽しみながらどこまでも歩く。
何も考えず、目の前のトレイルをただひたすらに。

そろそろ日も傾く頃、一緒に歩く影法師のハイカーに出会う。

Evolution Lake 06:20
Sapphire Lake 07:15
Wanda Lake 08:30
Muir Pass 09:50 *11:00まで休憩、食事
*Sapphire LakeからMuir Passを越えての約10kmは完全な雪原
Le Conte Canyon Ranger Station 14:50
* 少し先のDusy Branch沿いで16:00まで洗濯、昼寝
Palisade Creek JCT 17:30
Deer Meadow 19:30

DAY9 〜JMT Thru-Hike2008〜
DAY9(6月23日) Deer Meadow〜Lake Marjorie手前 23km空中庭園。
御伽話の世界が、今まさに目の前にある。
標高3200m、人里へのエスケープも容易でない。
そんな処にあるこの風景はそれでも夢ではない。急峻な断崖にきられた無数のスイッチバック、Golden Stairway
その断崖を越え、草木もまばらな谷を抜けていくその向こう、
Palisade Lakesの周囲に静かに緑の庭園が横たわる。
周辺の荒涼とした大地の中で違和感を覚える程の緑の濃さに目を奪われ、
静かに流れる小川に沿って、歩みを進める。本当にこの斜面を登るのか。
もう30分近く、周囲に他のハイカーのトレースを探している。
しかし目に入るのは目の前の急峻な岩と雪の斜面、
そして上部に微かに見えるトレース。
本来はもっと手前からスイッチバックして高度をあげ、
トラバース気味に峠へアプローチするようだが、それらしきトレースはどこにも見えない。
この状態ならどこを登っても一緒だと覚悟を決めて一歩を踏み出す。
ストックはバックパックにくくり付け、両手で岩をしっかりつかむ。
「Mather Passは慎重にね。トリッキーで、バランスがいるよ。」
Muir Passですれ違ったハイカーの言葉にうなずくしかなかった。一日の終わり、岩と雪の大地で心を潤してくれる小さなせせらぎ
まるでオアシスのようなその流れのかたわらにタープを張る。
小川に足を浸し、今日一日をふりかえる。
厳しく、疲れ、そして少し怖かった峠越えも良い思い出、
来し方、行く末、峠から眺める明日の風景に心を馳せる。

Deer Meadow 07:00
Palisade Lakes 08:20
Mather Pass 11:30 *12:10まで食事、休憩
* Mather Passは北斜面、南斜面とも非常に急傾斜。残雪期は要注意
South Fork Kings River渡渉点 15:00
*渡渉点付近には他の地図にないトレイルも存在するが、注意すれば問題ない。
Bench Lake JCT 16:10
Lake Marjorie手前 17:00

(パート3へ続く)
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土屋 智哉

書き手土屋 智哉

1971年、埼玉県生まれ。当店のオーナー。
古書店で手にした『バックパッキング入門』に魅了され、大学探検部で山を始め、のちに洞窟探検に没頭する。
アウトドアショップバイヤー時代にアメリカでウルトラライト・ハイキングに出会い、自らの原点でもある「山歩き」のすばらしさを再発見。2008年、ジョン・ミューア・トレイルをスルーハイクしたのち、幼少期を過ごした三鷹にハイカーズデポをオープンした。現在は、自ら経営するショップではもちろん、雑誌、ウェブなど様々なメディアで、ハイキングの楽しみ方やカルチャーを発信している。 著書に 『ウルトラライトハイキング』(山と渓谷社)がある。

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