ハイキングエッセイ

U.L.ハイキングとは

2009/08/18
hikersdepot
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ウルトラライトハイキング、ウルトラライトバックパッキングとよばれるハイキングの新しいムーブメントがあります。その背景をわかる範囲で簡単に紹介してみたいと思います。

 

ロングトレイルとスルーハイクロングトレイルとスルーハイク

ウルトラライトハイキング(Ultralight Hiking)、ウルトラライトバックパッキング(Ultralight Backpacking)とよばれるハイキングの新しいムーブメントがあります。その背景をわかる範囲で簡単に紹介してみたいと思います。

日本同様アメリカにも数多くのトレイル(自然遊歩道、登山道)があるのですが、その中には数百キロから数千キロという長大なロングトレイルがあるのです。そんなロングトレイルを春から秋のワンシーズンの間に一息に踏破してしまうことをスルーハイク(Thru-Hike)、踏破するハイカーをスルーハイカー(Thru-Hiker)と呼びます。日本ではあまりなじみの無い言葉ですが、ご自身もスルーハイカーである作家、加藤則芳氏の著作「ジョン=ミューア=トレイルを行く」(1999, 平凡社)において日本ではじめて「スルーハイカー」という言葉が紹介されたのではないでしょうか。ウルトラライトハイキングはこうしたロングトレイルを歩くスルーハイカーによって培われてきたハイキングの方法だといえます。
数千キロのロングハイクとなると期間は4~5ヶ月にもわたります。多くのハイカーが訪れる著名なジョン=ミューア=トレイルでさえ全行程は340km、一月程かけて歩くのが普通です。こうした長い行程を歩くには体への負担が少ないにこしたことはありません。また期間が長くなれば天候や体調にトラブルが生じる可能性もでてきます。日々繰り返される様々な作業もシンプルであれば負担も少なくなります。最後の最後で頼りになるのは装備ではなく、自身の体力です。そのために少しでも体力に余裕を持たせながら歩きたい。そのためにスルーハイカーは「装備の徹底的な軽量化」という方法をとったのです。

水、食料、燃料などの消費物を省いたバックパックの総重量10ポンド(4.5kg)以下。

多くのスルーハイカーの試行錯誤により定着した、ウルトラライトハイキングにおける装備重量の目安です。ここまで軽量化を計ればハイキングが劇的に自由に、快適に、安全になるという目標値だといえます。

 


 

エマおばあちゃん

エマ=”グランマ”=ゲイトウッド(: 1888-1975)。
EmmaGatewood

アメリカのスルーハイカーの間では「伝説」にまでなっているおばあちゃん。半世紀前のそのシンプルでライトなハイキングスタイルはまさに伝説。「ウルトラライトハイキングの母」といえます。

驚くべきことに、彼女の特筆すべきハイキングの経歴は普通なら定年を迎える時期からはじまっているのです。

  • 1954年 アパラチアントレイル スルーハイク(3500km、67歳、単独女性初)
  • 1956年 アパラチアントレイル スルーハイク(2回目、4ヶ月半、休息日無し、女性最高齢記録)
  • その後5年間で3回目となるアパラチアントレイル踏破(部分部分をつなげるセクションハイク)
  • その他オレゴントレイル(3200km)、ロングトレイル(バーモント)ベイカートレイル(ペンシルバニア)、バッキートレイル(オハイオ)等をハイキング

 こうした彼女のロングハイキング、スルーハイキングの快挙を支えたのは若い頃から農業を営み続けてきた健康な体がベースにあるのはもちろんですが、ハイキング中は食料や水を込みでも20ポンド(9kg)以下におさえたそのシンプルでライトウェイトに徹底した道具にもあります。

  • Kedsのスニーカー
  • レインケープ(雨具として、グラウンドシートとして)
  • シャワーカーテン(テントとして)
  • 軍用毛布
  • セーター
  • 簡易クッカー、安全ピン、針と糸、石けん等
  • 手製の袋(肩に担いで、バックパックの替わりに)

こうしたシンプルな装備で70歳間近の女性が単独で3500kmをスルーハイクした事実。西海岸と異なり、雨も多い東海岸のロングトレイルで有効であったということは、わたしたちハイカーに訴えかける何かがあります。「彼女は特別だから。」で済まされない何かが。

「過剰な装備は必ずしもハイキング&キャンピングの楽しみや安全の本質ではない。」

もちろん、重たい装備が安全ではなく、軽い装備が安全だと言っているのでもありません。

  • 本当に必要な装備は何なのか?
  • 担ぐべきに値する装備は何なのか?

彼女の装備を見て、今一度考え直すことも必要なのではないでしょうか?

現代の最新ギアに身をかためた結果、重たくなりすぎてちょっとのハイキングなのにバテてしまう。
そんな寓話から自由になるためのインスピレーションがここにはあるはずです。

グランマエマの快挙から半世紀。
わたしたちはどれだけ前に進むことができたのでしょうか。

謝辞)

わたしがグランマエマのことを知ったのは、日本において早くから「ウルトラライトハイキング」のムーブメントを紹介してきたホームページにおいてです。

Ultralight Hiking
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ddpjapan/ulltralight/

改めて先達の知恵と経験に感謝いたします。

 


 

レイ=ジャーディンと「Beyond Backpacking」

エマ=ゲイトウッドの伝説的な壮挙や数多くのスルーハイカーの試行錯誤によって培われてきたハイキングへ対するライトウェイトでシンプルなアプローチは、1992年に出版された本によって更に加速していく。レイ=ジャーディン(Ray=Jardine)が著した「PCT Hiker Handbook」。

レイ=ジャーディンは、1970年代にヨセミテ(アメリカ、カリフォルニア)で活躍したクライマー。彼はフリークライミングで当時の世界最高レベルを押し上げるだけでなく、岩には何も残さないというにフリークライミング、クリーンクライミングの理念を具現化したギア「カム=デバイス」の発明者という側面ももっています。工学博士でクライマー、カヤッカー、スカイダイバーと多彩な顔を持つ彼は1980年代後半からロングトレイルのスルーハイクに傾倒していきます。

  • 1987年 Pacific Crest Trail(4ヶ月半)
  • 1991年 Pacific Crest Trail(3ヶ月3週間)
  • 1992年 Continental Divide Trail(3ヶ月3週間)
  • 1993年 Appalachian Trail(2ヶ月28日間)
  • 1994年 Pacific Crest Trail(3ヶ月4日間)

彼はこうした実践を積み重ねてゆく過程で、ライトウェイトでシンプルな方法論を確立し、最終的にレイのバックパックは

ベースウェイト8.5ポンド(3.85 kg)

という域に達しているのです。こうした実践に基づいた方法論は改訂ごとにまとめられ、2000年には「Beyond Backpacking」と改題、以後、ウルトラライトハイキングというムーブメントがアメリカで無視できない潮流となっていくのです。

ウルトラライトハイカー、スルーハイカーのバイブルともいえる「Beyond Backpacking」。
その中ではもちろん軽量化のための方法論や各装備についての考え方が詳細に記されているのですが、レイがイントロダクションで最も強調していることは、むしろ哲学的、思想的な側面なのです。
旧来的なバックパッキングの方法では家財道具を全て持ち出すかの様に荷物を背中に担ぎ、身の回りが多く装備であふれかえる。こうしたスタイルでは自然との距離がますます遠ざかってしまう。単に装備を減らせと主張しているのでなく、「不要なものを減らす」ということを強く主張しているのです。本当にそのバックパックが必要なのか?そのテントでなければだめなのか?本当にそれだけの重量を背負わないと山には行けないのか?
環境、気候、能力、装備、様々な要因を考慮した上でおこなうのであれば、装備が少ないということは決して安全をないがしろにするものでなく、むしろ安全と快適性を高めるものになるというのです。これは安全のために背負ったバックパックの重みに押しつぶされ、雨の中一歩も動けなくなる。という寓話のような状態のまさに正反対をさしています。

ハイキングは装備を運び歩くものでなく、キャンピングはテントをたてるものではなく、あくまで自然環境の中に身をおき、自然を感じるもの。自ら運べるものを運び、いかにして優しく自然の中を歩き、いかにして自然の営みに気づき、そしていかにして自然環境と関わっていくのか。レイはこうした命題を「earth philosophy」「connection」と表現し、重視しています。バックパックを軽くするためには自然と自分との関係を自覚し理解しなければなりません。またそうした自覚と理解とを深めるためにはもっとダイレクトに自然を感じる必要があるのです。だからこそ本当に必要でシンプルな装備を彼は推奨しているのです。

装備の軽量化という側面だけをとりあげて、レイの主張する方法論は極端で過激だと批判することは簡単です。しかし彼がその向こう側に見ていたものは、「自然回帰」というアウトドアカルチャー本来の出発点であり、それを純粋なカタチで追求することだったのではないでしょうか。

バックパッキングの向こう側、ウルトラライトハイキングにはアウトドアカルチャーの原点があるのです。