ULハイキング、ULバックパックとひとくちにいっても、そのスタイルは時代によって変化してきました。ハイカーの歩き方がスタイルをつくり、そのスタイルを写しだすブランドがうまれます。ハイキングスタイルとULハイキングのシーンに影響をあたえたブランドの変遷を概観するとULハイキングの時代性と多様性がみえてきます。
2023年現在、現代のULハイキングが誕生してから約30年が経っています。その30年をULハイキングのスタイルの変遷で追いかけてみましょう。ULハイキングはどこからきて、どこにむかうのでしょう。
1990's〜 オリジン【PCT Hiker HandbookとRay-Way 】
現在Ultralight Backpacking、Ultralight Hikingとよばれているスタイルの根幹にあるものはRay Wayです。これはレイ・ジャーデインが1980年代からPCTスルーハイクなどで試行錯誤を重ねてつくりあげたライトウェイトでシンプルなハイキングの方法論と思想です。トップリッドもフレームも無いバックパック、ビーク付きタープ、アルミ缶で作ったアルコールストーブ、シュータンを切り取ったスニーカー。Ray Wayを支える道具達は従来のバックパッキングの常識からあまりにかけ離れていました。市販品はなく、道具の全ては自作するしかありません。当時は特殊すぎる方法論とされたのも肯けます。しかし、いまから30年前にベースウェイト8.5ポンド(約3.9キロ)でPCTを歩いた彼の方法論は「PCT Hiker Handbook」で紹介され、ロングトレイルを歩くハイカーの一部からは熱狂的に支持されました。これが現代ULの起源なのです。
代表するブランド)Ray Way
2000's〜 グラムカッター【ウィークエンドハイクでの過激で純粋なUL実験】
1998年にレイ・ジャーデインの方法論をプロダクト化したGO LITEが誕生、同年グレン・ヴァン・ペスキがGVP Gear(のちのGossamer Gear )で自作バックパックの販売や型紙の公開をはじめました。一部のスルーハイカーのものだったULの方法論がプロダクトを通じて一般的なハイキングにも広がりを見せはじめます。2000年にライアン・ジョーダンがポータルサイト「BackpackingLight.com」をたちあげたことで、この流れは一気に加速します。スルーハイクだけでなく週末のハイキングもULの舞台となりました。軽量化はより過激に、より先鋭的に。週末1、2泊使えればよいとばかりに、耐久性を犠牲にした軽さに特化したギアも数多くうまれました。これらのULギアは軽さとシンプルさを突き詰めていたため、使い手の経験や知識によるところが大きい道具でもありました。日米問わず「UL=行き過ぎた軽量化」として批判を受けることも少なくありませんでした。しかし最も実験精神にとみ、純粋に軽量化と向き合う熱量にあふれていた時代です。
代表するブランド)GVP Gear、Zpacks
*現在の製品ラインナップとは大きく異なります。
2010's〜 ロングハイク【 急増したスルーハイカーが一般化させたライトウェイト】
2000年代後半、ULバックパックに大きな変化がおこりました。軽量化を突き詰める中で不要と切り捨ててきたフレームをあえて搭載したバックパックが登場したのです。Gossamer Gear マリポサにはじまるこの流れはグラムカッターなULハイカーには受け入れがたいものでしたが、彼らのためのバックパックではありませんでした。ベアキャニスターを携帯しなければならないが、少しでもバックパックは軽量化したい。そんな当時のPCTハイカーにむけたバックパックだったのです。軽量化のための軽量化から、ロングハイクのための軽量化への回帰ともいえます。
2010年以降、北米では書籍や映画の影響から長距離トレイルを歩くハイカーが急増します。彼らの多くはGossamer Gear、ULA、Six Moon Designsといった元スルーハイカーが関与するブランドの長距離ハイキング仕様のバックパックを選びました。フレーム搭載の軽量バックパック、フロア付の軽量シェルター、高効率ガスストーブ、エアマット。先鋭的な軽量化よりもべースウェウト6-7キロあたりの道具立てがロングハイキングでは一般化していきます。ULブランドのギアを使うけれどもULには固執しない。ULハイキングスタイルというよりも、ロングハイキングスタイルとでもよぶべきスタイルです。こうした傾向が日米問わず現在まで続く主流です。
代表するブランド)Gossamer Gear、ULA
2010's〜マルチスポーツ【 パックラフトやクライミングなどオフトレイルへのULの拡散 】
ULシーンがロングハイキングへ傾倒していった2010 年代、もうひとつの潮流が生まれます。Hyperlite Mountain Gearを中心としたマルチスポーツ、オフトレイルへのULの拡散です。HMGが拠点とするアメリカ東海岸はアウトドアスポーツのメッカ。アパラチアン・トレイルのお膝元というだけでなく、カナダにまたがる森林地帯では河川や湖沼がひろがり古くからカヌーが盛んです。ホワイトマウンテン国立公園はハイキングからアルパインクライミング、アイスクライミングまで一年を通じて幅広い登山が楽しめます。HMGはロングハイクだけでなく、様々なアクティビティを意識した軽量バックパックをつくっています。パックラフト、アルパインクライミング、アイスクライミング、バックカントリースキー。軽量、頑丈、耐水を特色としたULバックパックはマルチスポーツ、オフトレイルへと拡散しました。従来的なアウトドアアクティビティでも十分に有効であるHMGのバックパックは北米におけるULへの目線を変えたブランドともいえます。
代表するブランド)Hyperlite Mountain Gear
2020's〜 FKT【より遠くへ、ひたすら歩き続けるFKTを意識した現代ハイキング】
2020年代のULハイキングとロングハイキングのスタイルを理解するためのキーワードはFKT(Fastest Known Time) です。最速踏破記録などと日本語訳されるFKTですが、厳密な記録や競技ではありません。トレイルランナーやハイカーの小さなコミニティの中での遊びのようなものからはじまっています。スコット・ジュレックの『NORTH 北へ』は彼が2015年におこなったアパラチアン・トレイルでのFKTの記録です。万全なフルサポートを受けるランナー/ハイカーもいれば、ノンサポートで挑むランナー/ハイカーもいる。しかしノンサポートといっても補給をする時点で広義のサポートは受けているわけです。どこまでがノンサポートでどこからがサポートなのかという区分けは恣意的なものにすぎません。だから「遊びのようなもの」「厳密な記録や競技ではない」のです。そして曖昧だからこそFKTは記録という数字にとどまらずランナー/ハイカーにとっての歩き方/走り方のスタイルになりえました。より遠くへ、休みをあまりとらず、ひたすら歩き続けるというスタイルです。
2015年にPA'LANTEを創業したジョンZ(トリプルクラウナー)とアンドリュー・ベンツ(PCT、CDTスルーハイカー)というふたりのハイカーのハイキングスタイルがまさにそうしたものです。より遠くへ、淡々とひたすらに歩き続ける。彼らのJoeyというバックパックはアンドリュー・ベンツのジョン・ミューア・トレイルFKT用バックパックが基になっています。2020年前後から、アリゾナ・トレイル、コロラド・トレイル、ロング・トレイルなどの1,000km台のトレイルではこうしたFKTスタイルでスルーハイクを楽しむULハイカーを目にする機会が増えました。FKTスタイルは2020年代におけるULハイキングとロングハイキングのハイブリッドスタイルといえるのです。
代表するブランド)PA'LANTE
レイ・ジャーディンがPCT Hiker Handbookを著してから30年以上が経ちました。ULギアがGoLiteにより市販プロダクト化されてからはちょうど四半世紀となります。ハイキングは競技ではありません。それゆえにULハイキングのスタイルは著名な誰かが競技会の結果やオフィスの中から生み出したものではありません。この30年間、いつの時代もトレイルを歩くハイカーから生まれてきました。スタイルもブランドも全てはトレイルにしか無いのです。
次の10年、その先の10年、どんなハイカーがどんなハイキングをするのか、楽しみは尽きません。