ロングディスタンスハイキングにおけるバックパックの潮流

ロングハイクから産みおとされたULバックパック

1992年、レイ・ジャーディンが著した『PCT Hiker Handbook』により「ウルトラライトバックパック」はハイカーの前に姿を現しました。レイ・ウェイと呼ばれるそのシンプルかつ完成されたデザインはあらゆるULバックパックの原点とされています。この必要な要素以外を徹底的に省いたバックパックはPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)などの長距離トレイルをスルーハイクするために生み出されました。当時は成功者が少なかったPCTのスルーハイク、その理由は25-35kg程度を担ぐことが一般的だったバックパッキングスタイルにあります。一週間程度ならば問題なくとも、その重量を半年担いで歩き続けると怪我をするハイカーが多かったのです。そこでバックパックその中身を軽量化してスルーハイク成功率をあげるためにうまれたのがレイ・ウェイバックパックなのです。ロングディスタンスハイキングを強く意識したバックパックの原点ともいえます。
長期間長距離にわたるハイキングで体への負担を極力少なくするためにバックパックはもちろん、その中身に至るまで必要な要素のみに絞りこんだシンプルな方法論は2000年代にはいると「ウルトラライトハイキング」と呼ばれるようになります。

ロングハイキングバックパックの原点ともいえるRay Way Backpack。2008年にアパラチアントレイルをスルーハイクするレイ・ジャーディン

 こうして産声をあげたULバックパックは1998年創業のGOLITEによりマスプロモデルとして市場流通するようになりました。また2000年代に入るとGranite Gearがヴァーガ、ヴェイパートレイルというバックパックを発表、AT(アパラチアントレイル)のTrail Daysでスルーハイカー向けのバックパック無償修理をおこなうなどロングディスタンスハイキングという文化に向き合うメーカーもでてきました。しかし北米のアウトドアシーン全体においてはニッチであることは変わりません。数千キロ、数ヶ月のハイキングをするハイカーなんで一握りという認識は日本もアメリカも変わりません。市場規模が小さいのですからマスプロメーカーは参入しないのです。結果、ロングハイキングシーンを支え、ハイカーから支持されていたのはマスプロではなく、小規模なコテージギアメーカーたちでした。

ロングハイクシーンから産み落とされた小規模コテージギアメーカーがつくるULバックパックは2000年代中頃においてその軽量化を先鋭化させます。使用シーンもウィークエンドの数泊というショートレンジハイキングに移り、ロングハイキングから距離をおくようになるのですが、それはまた別の機会に。

GOLITE ブリーズ Ray Wayのプロダクトモデル。その後GOLITEとレイは決別しますが、このブリーズのシンプルな構造こそULバックパックの原点。この構造が市場流通したことが重要です。

 

ロングハイクで必要とされた腰荷重モデル

この時期のロングハイクシーンにおいてハイカーは軽量化を意識しつつも、レイ・ウェイのような典型的なULバックパックを使いこなせるハイカーは決して多くはありませんでした。レイ・ウェイでは長距離を歩くことにフォーカスするため、ハイキング中の生活に関わる用具を極端に簡素化させることで軽量化を実現しています。タープ&キルトを寝床とし、アルコールストーブで温かいものを口にする、そこまで振り切るスタイルを許容できるハイカーは今も昔も決して多いわけではないのです。長距離ハイカーの多くは床のあるテントで眠りたいし、ガスストーブを気軽に使いたいのです。レイ・ウェイのような狭義のULではなく、長距離長期間のトレイルでの生活に無理のない範囲での軽量化が支持されたと考えればよいでしょう。そうした志向はバックパックにも反映されます。2000年代後半、軽量志向の長距離ハイカーに支持されたのはGranite Gear ベイパートレイル、ULA サーキット、 Gossamer Gear マリポサといったモデルです。ヴェイパートレイル、サーキットはGREGORYやDANA DESIGNSといった北米トラディショナルな腰荷重を前提としたバックパック同様の構造をもっています。マリポサはULバックパックメーカーがはじめてアルミステイを搭載させたモデル。腰荷重を前提としてはいないものの、状況によってバックパックの背負うポジションを下げることで腰でもしっかりとサポートできるというのが特徴です。この流れはマスプロ大手のOspreyに波及します。2010年に軽量モデルであるエグゾスを発表するとロングハイクシーンを席巻したのです。この時期に小規模コテージギアメーカー、マスプロメーカー問わずロングハイキングシーンで生じた流れはどんどん大きくなります。2020年代の現在に至るまで、これらの腰荷重モデルとその後継モデルがロングハイクシーンの主流でありつづけます。

Granite Gear ベイパートレイル ウエストサポート、樹脂フレーム、スタビライザー搭載の2000年代を代表する軽量バックパック。
ULA サーキット 2000年代から腰荷重前提の軽量バックパックを提案してきたULAのフラッグシップ的モデル。
Gossamer Gear マリポサ ULバックパックメーカーではじめてアルミフレームを搭載。これがシーンを変えていくことになります。Gossamer Gear マリポサプラス マリポサの生地をより丈夫にしたモデル。ロングディスタンスハイキングへの強い意識がみられます。この生地変更はのちの同社ゴリラにつながります。
Osprey エグゾス 腰荷重に背面を浮かせた清涼感が特徴の軽量モデル。2011年以降の北米長距離ハイキングシーンで支持をあつめるマスプロモデル筆頭。

このように「腰荷重ができる800g〜1kgの軽量バックパック」がPCT、CDT(コンチネンタル・ディバイド・トレイル)、ATといった超長距離トレイルで支持されているのには以下のような事情があります。

  • ベアキャニスターを携帯する必要
  • 山火事などで大きく迂回する可能性
  • 季節をまたぐハイキングによるギアの増加

特に食糧、燃料、水といった消費材関連の重量が増加しているのです。結果パックウェイトが重たくなる。ベースウェイト4.5kgがウルトラライトの基準だとすると、現在のライトウェイト志向のハイカーのベースウェイトは6kgくらいを目安に考えるとよいでしょう。これに水2-4L、食料2-3kgという消費材が加わればパックウェイトは12-14kgくらいになることも想定されます。テント泊装備でのハイキングとして過剰に重たい重量ではありませんが、数週間から数ヶ月という長期間にわたって背負い続けるにはやはりフレーム入り、腰荷重可能なモデルを必要とするケースが多いという考えが主流になります。フレームなし、腰サポートなしという典型的なULバックパックの推奨パックウェイトは8-10kg程度なことを考えても、北米コテージギアメーカーのバックパックの主流もこうした腰荷重モデルに移行していることは多くのハイカーのニーズを考えると当然の帰結かもしれません。

スルーハイカーをターゲットにした北米コテージギアメーカーも2010年代後半以降は腰サポート前提のモデルを制作することがスタンダードになっています。

 

長距離ハイキングにおける2つの潮流

それではレイ・ウェイを原点とするシンプルを突き詰めたULバックパックは絶えてしまったのでしょうか。そんなことはありません。ロングハイキングパックとしてのULバックパックの系譜は2015年創業のPa'lanteなどにしっかりと引き継がれています。彼らのバックパックは股関節の可動域を最大限に確保するため腰荷重を採用しません。そして上半身で長期間背負えるだけの体力や荷物をより軽量化する知恵と技術をハイカーに求めてさえいます。さきにレイ・ウェイを実践できるハイカーは決して多いわけではなかったという説明をしましたが、Pa'lanteのハイキングスタイルが伴うある種のハードルの高さはレイ・ウェイが登場したときのインパクトと同じだとといえるかもしれません。
レイ・ジャーディンもPa'lante創業者のアンドリューやジョンZはとにかく歩きます。ひたすら歩き続けるハイキングスタイルです。ロングディスタンスハイキングで現在主流になっているバックパックは腰荷重に重きをおくようになりましたが、ULへの志向性をもつロングディスタンスハイキングでは歩き続ける、そのために腰を拘束しないというスタイルが基盤になっているのです。そして長距離トレイルをこうしたULスタイルで歩くハイカーは2020年代の現在、しっかりとその命脈を保っています。主流ではありませんが決して少なくはないのです。

レイ・ジャーディン同様、歩き続けるハイキングスタイル。その行き着く先は腰拘束をしない本来的なULバックパックのスタイル。

 現在のロングディスタンスハイキングシーンにおいて多くのハイカーが求めているのは腰荷重可能な軽量バックパックです。2000年代に比べればこの20年で格段に長距離志向のハイカーは増えました。当然その経験、体力、知恵、技術にも幅がうまれています。そうした状況もふまえれば、10-12kg程度の重量を安心して支えられる腰荷重モデルへの需要は必然といえます。しかしその一方でレイ・ジャーディンから続くひたすらに歩く正統ULスタイルもしっかりと息づいています。アリゾナトレイル、コロラドトレイル、バーモントロングトレイルなど1,000km前後の距離感のトレイルでは2000年代とは比較にならぬほどULに特化したハイカーを見かけることが増えました。2つのバックパックの潮流が存在するその多様性こそロングディスタンスハイキングの現在のカタチなのです。

 

ロングハイク、ULハイクは集合知。名も無き多くのハイカーが歩き続けることで新たなスタイルが生まれる。