田老から浄土ヶ浜を抜けて、宮古市街地へ。待ち受けるのは「宮古ローラーコースター」 と遺物と化した自然歩道のステップ
【田老~浄土ヶ浜~宮古】
歩き始めてから地図を開き、本日の行程を練る。こういうのは前日にやるべきなのだけれど、どうにも上手く予定を組めずに寝てしまった。
休暇村「陸中宮古」に隣接する「姉ヶ崎キャンプ場」に泊まりたいのに、15キロと中途半端な距離だった。うっかりしていたら午前中で終わってしまう(ああ、それも良いよい)。
今日は一日快晴だし、なんにせよ宮古市街地に向かって進むまでである。ホステルやホテルをあてにすれば、最悪、宿泊場所に困ることはない。よし、歩け。
田老から宮古市街地の入口にあたる浄土ヶ浜ビジターセンターまではほとんどが自然歩道で「陸中海岸自然歩道」との記載も見られる。
集落はいくつか通るが商店らしいものはない。辛うじて飲み物が買えるのは「宮古カントリークラブ」と「休暇村陸中宮古」。どちらも食事ができるはずだけれど、ハイカー然とした私には敷居が高く、鴨居は低い。そんなに細い入り口ではバックパックがつっかかる。この先、何かを入手できるのは浄土ヶ浜ビジターセンターを過ぎて、宮古市街地に入ったところのコンビニか、寄り道して道の駅みやこを経由するしかないはずだ。田老のファミリーマートで三食分の食料を追加する。残念ながら「うずまきかりんとう」でお馴染みの田中菓子舗さんは開いていなかった。
巨大な防潮堤を抜け、漁港をぶらつきながら川に向かう。大きなカニの爪。見事な重機が転がっていた。手前には魚雷のような物まで寝かしてあった。ノモンハンの戦場跡を思い出す。錆びた金属が歴史を余計に語っているようだった。
水門を右手に見ながら、アルミの梯子を使って田老漁港の端の壁を乗り越える。喫水エリアの砂浜を進むのかと思いきや、壁際の細い回廊(コリドー)を進む。この無理くりトレイルをつけた感じはなんとも面白い。作り手がどうにかこの浜を抜けて欲しいのだろう。歩くことを通して、作り手の方は苦労や想いは伝わってくる。きっと、現地視察を繰り返し、時にはトレイルを整備して、そこを歩かせたい。そういう想いをヒシヒシと感じる。田老沿岸は素晴らしい、楽しい。
〈沿岸の漂着ごみとハイカー〉
浜辺の一角にゴミが散乱している箇所が見えた。近づいてみると、流木で組んだ簡易ゴミ収集場所らしい。流れ着いたプラスチックゴミが集められていた。
プラスチックごみの漂着物は日本各地の沿岸で見られる。どこの市町村も頭を抱えていて、浜辺の観光地では海開きの前になると、周辺の関係者・事業者たちが集まり数日に及ぶ清掃活動をしている。利用者は何も知らぬまま、再びゴミを増やして帰るのだから奇妙な物だ。
三陸エリアは北上高地とはいえ、ハイカーが目にする野生〈ウィルダネス〉の大方は海と言っても良い。そのウィルダネスが誰のせいでもないゴミに汚されていては、ハイキングを通して得られる自然体験は落ちてしまう。
八戸ではゴミの漂着を見兼ねた地元のおじいさんが有志でゴミ集めをしていて、毎回数袋になると伺った。その活動を受けて八戸市はボランティア用にゴミ袋を用意してくれている。
「利用者が増えると、より美しくなる仕組みを作りたい」と、『大雪山・山守隊』の岡崎さんが言っていたことを思いだす。三陸を歩くハイカーが増えると海岸がきれいになる仕組みは決して難しくない。登山道でゴミを見つけて拾う人は多くいる。ゴミ拾いは熱中してしまう。ハイカーが一つでも拾ってゴミ箱に入れることができれば、コミュニティをみんなで維持する思いが醸成されるであろう。
『利用者負担』という言葉を聞く度に、「負担はお金だけではないだろう」と思う。穀物(お金)、実働、特産物で年貢を納めた「租庸調」をお忘れかしら。ぜひぜひ、「庸」によるボランティア活動も「利用者負担」の中に入れ込みたい。
そういえば、今回の宮古区間では道中、中身の入ったパワージェルを幾つか拾った。きっとランナーが走りながら落としていったのだろう。ひょっとして、帰り道がわかるようにワザと道に置いていったのかも。帰り道が分からずに今でも森の中にいるのだったら、大変失礼なことをしてしまった。誰か謝っておいてください。
〈宮古ローラーコースター〉
急な階段を登り切ると、台地に出た。春の初め、落葉樹の森は明るい。薄手のフリースを脱ぎ、シャツだけになる。シャツになる瞬間、初夏に半ズボンを履いて出かける時、サンダルを使い始める季節の開放感はたまらない。
佐賀部展望所は松林の中にある心地よい休憩場所だった。背の高い松が遮ってしまい、開けた展望はあまりないものの、ベンチに座って休めるのは嬉しかった。風がない夜だったら寝袋ひとつで一夜をここで過ごしたいくらい。ハンモックの輩ならどこでもぶら下がるに違いない。
この先、佐賀部展望所から栃内ー樫内ー松月浜と進む。改めて高低表を見ると100m程度のアップダウンが8-9本も連なる。高度を稼いで景色の良いところに出られるのなら良いのだけれど、この辺りから登ってもすぐに降りだ。宮古ローラーコースターの始まり始まり。
「みちのく潮風トレイル」は28市町村を抜ける間に、作り手も管理者も変化する。1970年代から旧環境庁が提言し県によって管理されている自然歩道、森林組合が作った林道、県が作った自然道、市が作ったトレイル、今は使われなくなった旧道、民地ではあるが昔ながらの参道など。たとえば、旧道は歴史豊かだが、並行して新道ができてしまうと管理が後手後手になっているところが多いとか、森林組合が作る道はいかに負担が少なく歩けるようになっているとか、それぞれ特色があって面白い。
この近辺は、みちのく潮風トレイル以前から設置されている『陸中海岸自然歩道』として造成されたもののようだ。自然歩道はレクリエーションとして作られているせいか、歩く人への負担を気にしていないようで歩きにくい。
このローラーコースター区間はとりわけ、擬木やコンクリート板によるステップが目立つ。その多くが(いや、ほとんどね)直登、直降の最大傾斜の斜面に最短距離で付けられてる。日本の登山道の特徴通り、スパルタにステップを付けがちだ。ステップの付け方によって山の難易度を闇雲に高めている。足元ばかりを見て歩くためか、ちっとも楽しくない。ハイキングに求めるのは自然体験であって、段差体験ではないのよ。どうもマッチングができてない。コレジャナイ。
ステップの付け方もハードなのに、工作物が長らく放置されているため、ステップの崩落が発生していて恐ろしい。
土留として使っている板状階段は土が流れ出てしまい、ただの板状のコンクリートが斜面に突き刺さっていた。アプト式のギアのように斜面にギザギザと露出していたり、斜面の崩れに合わせてドミノ並みに手前に向かって倒れていたり、中には歩く人を阻害するかのように空を突いて立ち上がっていたりと、攻撃的である。そして、ハイカーはそれを避けるように歩く物だから、ステップ以外のところに歩きやすい道が出来上がっているというユーモラスな現実。「ハイカーが歩けないステップってなーんだ」である。とんちだ。
そもそも土の斜面の最大の傾斜部分にこんな重いものを打ち込んだら、重みで崩れてくる。土よりもコンクリートの方が比重が重い。そもそも道をつける箇所、工法と工作物、整備ができないことに問題が見える。
⒈傾斜が大きいところに道をつける
⒉段差が高くなるからステップをつける
⒊傾斜がきつい分、しっかりした素材で作ろうとする
⒋土台の基礎工事をせずに、比重の重い工作物を載せてしまう
⒌雨や地震で土台から壊れる
⒍すでに設置した担当者は役所にはいないし、現担当者では修繕費用も高額な撤去費用を予算に組めない
⒎工作物のみ数十年と生き残る⇦イマココ
⒏神の遺物として後世に評価される
浮いたコンクリート板を試しに持ち上げようとしたら、重すぎてビクともしなかった。どうやって運んだんだろう。
この先の松月浜にも見事な遺物が見られる。コンクリート製の擬木の枕木(スリーパー)がほとんど全て失われてしまって留木のみが土から突き出ている。ある大工さんが「建築目線で言うと、日本の登山道は人間が歩くようにできていないのです」と言っていたことが思い出される。登山道だと気にも留めなくなってしまったかもしれないが、都市公園や駅の階段でこんなものが出ていた日には、怪我人が増えて仕方ないし、事故が起きる前にクレームが出るだろう。山だから仕方がない、これで十分だ、と思われているのだったら泣けてくる。
造られた当初は機能していたのかもしれない。ただの老朽化かもしれない。「登山道整備は、維持管理が基本」と登山道の特徴が挙げられている(渡辺悌二編著『登山道の保全と管理』)。自然歩道、トレイルであっても同じだ。
自然歩道が復興の後回しになることは当たり前だ。登山道やトレイルにおいては大掛かりな公共工事を一時的にしても日々の整備ができない仕組みで作って仕舞えば、後の世に負の遺産だけが残ってしまう。橋などの一部の工作物を除いては、管理者やボランティアが日々の管理の中でできる仕組みを作ることがトレイルの存続に繋がる。後世に残すのは自然であって、老朽化した遺物ではないのだから。
ちなみに最近では、ファイバー製のステップが付けられている箇所もある。比重は軽いし、作業量も少ない。費用だって安くなる。耐用年数や劣化は気になりがちだが、交換をし続けられる方が現実的だ。持続性というのは、経年変化ばかりに目をやってメンテナンスフリーのふりをして後の世代に負荷を負わせるわけではなく、日々のメンテナンスで長く使うことだ。
さらに、ATも含めてロングトレイルの作り手は常に意識していることがある。「トレイルというのは人間が作るもので一番自然に溶け込むものでなければならない」と言われる。このエリアでもボランティアによる整備がきちんと行われている箇所がある。丈夫な栗の木を使ってささっとステップを作ってしまうそうだ。
道標も親切で迷わないものが設置されている。ルート場に直角に曲がるところが多いエリアなのに、行き過ぎようなところはほとんどなかった。管理されている浄土ヶ浜ビジターセンターの方々の熱意には頭が下がる。
〈松月浜〜浄土ヶ浜〉
うっとりするくらい綺麗な松月浜に降りる。みちのく沿線でも1、2位を争うほどの美しい浜だ。大きな流木があり、大人が寝るにも十分な太さがあり、昼寝ができるのも良い。何よりこの広い浜辺を独り占めできるのが良い。日差しがぬくぬくして心地よい。
パンを齧りながら、この先の行程を考える。どう計算しても、宮古市街地の手前にある浄土ヶ浜ビジターセンターに着くのは日が暮れてからだった。やったなぁ、お前、また、ナイトハイクか。心が湧き立つ。夜に出歩くのは街の人みたいで愉快だ。夕飯を街で食べつつ、適当に歩いてしまえ。
ここから浄土ヶ浜までは便益施設が多い。どうもトレイルの状況に比して、立ち寄りスポットのレベルが高いのが日本のトレイルらしい。ATだってJMTだってトレイルの素晴らしさに対して、商店は割と質素というかワイルドというか、雑味があるというか、賞味期限が切れがちだと言うか、「ハイカーなんてオートミールとトップラーメン、マッシュポテトを食べてればいいじゃん」的なおもてなしなのだ。そちら方が非日常をじっくり味わえて好きですよ。
トレイルが宮古カントリークラブを抜けていく。
すっかり紳士気取りで、建物の中のトイレを借りたり、自動販売機で飲み物を買って、打ちっぱなしの様子をしばらく眺める。ゴルフを嗜まない私にとっては、あの棒っきれで小さなボールを器用に打ちつけて、狙った場所に飛ばすなんて神の業である。
よく手入れされているゴルフ場を歩くのは気持ちが良い。人の手によってこんなにも美しく景観は作られ、継続的に管理されているのかと驚く。
なだらかな丘を越えてゆく。海岸段丘にはない地形だが、不自然で人工的だと思っていたゴルフ場の方が、むしろ(どこかの)自然景観を模して作られていた。コンクリート板が浮いていることもなければ、棒っくいが突き出ていることもない。遺跡にもならない。
浄土ヶ浜に着いた。日がとっぷりと暮れた浜辺には観光客も一人もいない。濃紺の空に白い岩が突きだし、海は真っ暗だった。波音だけが響いていた。極楽浄土によく似たこの景色は、まさにシエラや砂漠地帯のウィルダネスだった。
この先はロードウォーク。姉ヶ崎から白浜までの宮古湾をぐるりと歩く、宮古市街地トラバースだ。舗装路なら夜でも苦労しないで歩ける、むしろ暗いうちに歩いてしまいたい。夕飯を宮古市街地か、その先の磯鶏駅周辺のスーパー「ファル」で買おう。その前にローソンに寄ってコーヒーでも飲みながら充電しようかしら。
text by Loon