2007年のJMT day 10

2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆)

*ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2014ATハイカー。


Trail Crest~Whitney Portal


 最後に追記を。

 キムとビネッタには下る途中、トレイルクレストの細い登山道で遭遇した。17時だというのに、これから頂上を踏むようなので心配して声を掛けると、「どこか風を防げる場所はあるかな?」と聞いてきた。岩のシェルターもあるし、測量局が立てた避難小屋もあると、伝えると、安心したような表情を浮かべて礼を述べた。どういたしまして。

 彼らと別れて15分ほどして、携帯電話がトレイルに転がっていた。行きには見覚えがなく、頂上で会った人の誰かが落としたものだと思い拾って歩くと、5分ほどして頂上で見かけた女性が歩いてきた。「これかな~?」と声を掛けると、大喜びをしてくれた。落とすと悲しいからねぇ、携帯は。何でも、彼女は北側の岩棚を歩くルートから来たそうだ。すごい体力だ。(9日目の写真で右端に写っている女性が、その人だ。)

 夕暮れの中、早足にトレイルキャンプまで下って寝床を探したのだけれど、タープを張れる様な場所はことごとく団体さんに占領されていた。さらに歩いて、いい加減暗くて足元が危うくなる頃に、どうにか寝られそうな固く平たい場所を見つけて、一泊を過ごした。砂が固すぎてペグが刺さらず、辺りにあったこぶし大の石を使ってタープを立ててみても、風が強すぎて寝ている間に重石は外れ、しまいには風に煽られてパタパタと音を立ててしまう。うるさいので体に下にたくし込んで寝てしまった。どうにかなるものだ。

 ホイットニーの頂上から吹き降ろす風は強く、空気はピリリと冷え込んでいた。時おり、思い出したようにタープの端から頭を出して夜空の下に寝転んで、流れ星が落ちるのをただぼんやりと待っていた。

 
 早くに目が覚めてしまい、うっすらとあける夜空を見ながら準備をする。目覚ましを掛けずに寝たときに限って早く起きるのだ。熊の出没がこのあたりでも増えたと聞いて心配していたのだけれど、低木に絡めた熊袋はそのままだった。おかえりなさい、熊袋。

 トレイルは右往左往に九十九折。登ってくるハイカーに景気良く挨拶をする。荷が軽すぎてどうみても週末ハイカーにしか見えないのが残念だ。下るにつれて、徐々に暑くなってくる。遠くに見える町LonePineは、デスバレーに程近い暑い町。まだ、夏なんだな。もう一度、高い場所に戻りたいと高みを見やっても、もうホイットニーの頂上は姿を隠していた。

 ホイットニーポータルに9時過ぎに到着して、売店で何を買おうか悩んだ挙句リンゴジュースを買いもとめ、一息に飲み干してからシャワーを浴びた。備え付けの鏡で久しぶりに自分の顔と再会を果たし、思ったよりよりも元気そう。安心した。楽しかったね。そして、お疲れさま。


2007年のJMT  day 1
レポート
2025/02/27
2007年のJMT day 1
2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた。(勝俣 Loon 隆) *ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2024ATハイカー。 REDS MEADOW ~ LAKE VIRGINIA   マンモスの駐車場のそばで、何か肝心なものを忘れているような気になりながらシャトルバスに乗り込む。朝8時からパーミットを受け取るためにレンジャーステーションの前で待っていたのに結局は10時か。11時には歩き始められるのだろうか。  一本前のバスは満員で乗ることができなかったけれど、このバスは臨時バスのせいか、大分空いていた。隣の席にも人がくるようなことがなさそうなので、バックパックを隣の椅子に置かせてもらい窓の外をぼんやり眺める。  バスに乗るのは久しぶりかと思えば、ちょうど先月、同じバスに乗ったばかりだった。メキシコではバスに乗って旅行をしていたので懐かしい気分がする。  出発間際になって、2匹のリトリバーをつれた中年カップルが乗り、僕の座っている方向にやってきた。おじさんが連れたリトリバーは窓側に座り、窓外や後に座ったリトリバーが気になるようで落ち着きがない。つい、目が行ってしまう。(通路側だったら遊べるのに)と思っているとおじさんが話しかけてきた。 「一人でバックパッキング?」 「はい、ホイットニーまで10日くらいで」 「ほう、結構あるでしょう。どのくらいあるのかな?」 「160マイルくらいです。」 「なら走るのかな?」 「いや、走るのはあまり好きじゃないので、ゆっくりと歩けたらと」 「そうか。実は私も走るのが好きでいつもは30マイルほど取トレイルを走って・・・」  リトリバーは座席の隙間から後に座った別の子を覗いたり、狭い椅子の上で向きを変えたり忙しい。おじさんの話し方もなんだかせわしない。やっぱり似るんだろうか。後に座ったおばさんも、リトリバーも静かだもんなぁ。僕が犬を飼ったらどんな子になるんだろう。あ、話が終わったみたいだ。 「なるほど。」 「なにはともあれ楽しんで!」 「ありがとう。」  少しでも寝ようかとバックパックを抱きかかえるのだけれど上手く眠れなかった。バスはREDS MEADOWの途中にあるDEVIL'S POSTPILEという場所で停まり、みんな降りていく。 「じゃぁ、気をつけてね!」とおじさんが言った。 「ありがとう。また。」と僕はリトリバーに向かって言ったのだけれど、彼はさっさと降りていってしまった。  僕だけを残したバスはしんとしていた。運転手のおじさんが「ストアでいいのかい?」と大きなしゃがれた声で訊いてきた。「うん、それでいいです。」と応えると、バスは再び走り始めた。 MT. WHITNEYまで260キロ CRATER MEADOWにて  昨年は北に向けて歩いていたため、南向きに歩いた今年といえどもおおよその景色、ジャンクション(分岐点)は覚えているつもりだった。ところが、CRATER MEADOWは何も覚えていなかった。その上、ジャンクションで見た看板には”PCT/JMT→LIAR(嘘つき)”って書いてある。合っているのかなぁ、ま、この辺りには他に続く道もそれほど無いからどうにかなるか、とコンパスに呟く。  見覚えの無い道には真新しい木道のような橋が掛けられていた。いい匂いだなぁ、スギかなぁ、などとすっかり道迷いは気にならなくなってしまっていた。 「君、君~」と遠くから背の高い、ひょろりとした男性が近づいてくる。彼の後方に目をやると大きなタープが立っていた。 「君はあの橋を通ってきたのかい?」 「うん、いい匂いのする綺麗な橋でしたね。」 「わあ、君はあの橋を最初に歩いた人だよ!草原の回復のために新しいトレイルを作っていたんだ。それで、今朝からこの道を開放したんだよ!」 「へえ、通りで去年歩いたのに見覚えが無いわけですね。道を迷ったかと思いました。ここってJMTですよね?」 「うん、JMTだよ。橋で写真撮る?」 「(別にいらないけれど)ありがとう。どのくらい作業していたんですか?」 「他のスタッフ4人とやって4週間だね。他のスタッフは先の方で作業しているよ。」 僕の名前を聞いてきたので、ノートに書いて渡す。彼は僕の旅の無事を祈って、また作業場の方に戻っていった。「素敵な橋をありがとう!」と彼の背中に言うと、彼は「今までで聞いたお礼で一番嬉しいよ!」と大きく微笑んで手を挙げた。  歩き始めて少し先に行くと、女の子2人と男の子2人のボランティアが大きなのこぎりで木を切っていた。ハーイと声を掛けると珍しい物でも見る様に僕を見ていた。本当に人が歩いていなかったんだね。  「綺麗な橋をありがとう!」と声を掛けると手を休めて微笑んでくれた。  去年歩いた道というので気持ちが緩んでしまって、まともにジャンクションの看板を見ていなかったのかもしれない。新道に迷い込んだのもそのせいだろう。そのおかげで、トレイルを補修する人たちと出会えたのは素敵なことだった。僕の粗忽さも幸運をもたらすこともあるみたいだ。なんだか、足が軽かった。MT. WHITNEYまで255キロ   [blogcard type="blog" handle="report/r-20250228"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250301"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250303"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250306"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250307"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250312"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250314"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250316"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250317"]

2007年のJMT day2
レポート
2025/02/28
2007年のJMT day2
2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆) *ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2024ATハイカー。 Virgnia Lake ~ Bear Ridge 目が覚めると空が白んでいた。寝袋の中で時計を見ると6時前だった。物が見えるくらい明るくなっているので、起き上がって体を伸ばす。 まずは...2日目なので何をしたら良いのか考えないとわからない。熊缶を取りに行こう、と靴を履く。今回は、いつもの「缶」ではなく、今年からテスト期間として許されているアルミ入りの袋を持ってきている。袋と言っても熊が噛み千切れない素材で出来ているし、アルミの板が袋の中で広がるので、上手く噛めないという熊にとっては厄介な代物なのだ。ただ、取り出し口は紐で締めるので、そこから中身が出せないように木に括り付けないとならない。木にくくりつけておけば、袋を引っ張る都度に入り口が閉まっていくと言う寸法だ。良く出来ている。 問題は木だった。熊だって莫迦じゃない。簡単に見える場所に結わえたら、まずじゃれるだろう。食料が無事でもよだれまみれの食べ物はちょっと躊躇ってしまう。だから、熊に見つからなさそうな場所の木に結わえておくのだけれど、彼らが見つけられない場所だとしたら、鼻の利かない僕なんて到底見つけられないに決まっている。 案の定、朝から、熊袋を探してあちこちの木をさまようことになる。だって、夜9時過ぎて真っ暗になって結わえたのだから、そもそも覚えていない。莫迦だ、自分。結局、10分ほど探して(幸運なことにVirginia Lakeには木が少ない)、寝床に戻る。 それにしても、昨晩は夜に着いたとは言え、シートの上に物が散らかりすぎだ。コヨーテやリスがやってきて咥えていってしまっては困ってしまう。などと思いながら、とりあえずは証拠写真を押さえておこうとデジカメで撮っていると、女性がやってきた。「おはよう。調子はどう?私はレンジャーのレスリー。」ウールの股引をはいて、染みのついた昔は水色だったと思うダウンジャケットを着ているレンジャーなんて初めてだった。「おはよう。」僕は立ち上がって挨拶をする。朝6時からレンジャーは働くのかしら...。「あれ、あなたの顔、覚えているわ。」と彼女に言われて思い出す。「ああ!去年、どこかのほとりで話したよね。」と去年の彼女の顔を思い出した。「そうだ、僕の荷物が軽いって褒めてくれたんだ。あとブルーベリーマフィンを食べる?って勧めてくれたのも覚えているよ。」「私も装備が軽いので覚えていたの。顔ももちろん覚えていたわよ。」と微笑んだ。たしかに、髪がぼさぼさで変なタイツを穿いた長髪のアジア人は多くないでしょうね。「一年ぶりに別の場所で会うなんて、めずらしいこともあるのね。」確かにめずらしい。迷って新道に入ってしまって、新しい橋の最初の歩行者になったことを話した。なんだか予定外のことが起きて、それが悪いことではないなんて不思議な気がした。「偶然がつづいているんだ。」 「写真撮ってたの?撮ろうか?」とすっかりと打ち解けた彼女が申し出た。僕は昨夜の到着が遅れて、朝起きたらこんな散らかっていて、その様がおかしくって写真を撮っていたことを話した。「一日でReds Meadowからここまで歩くなんて大したものねぇ。あ、これUrsackでしょ?使い勝手はどう?」「軽くて良いのだけれど、ほら、熊に見つからないように隠すでしょ?自分でみつからなくなってしまうんだよね。今朝も熊にもって行かれたのか、自分が莫迦なのか悩んでしまったよ、あはは。」「あはは、気をつけてね。食料が無くなったら、それでお終いだから。」僕の散らばった装備をみながら「あ、それいいわね」「それ、暖かい?」などと質問が続く。レンジャーは装備が重いのよね、と嘆いていた。去年会ったときには「アルコールストーブって軽いわね!」と驚いていたんだった。「そうだ、記念の写真を撮ろう!」と、朝から眠いのに、ぼんやりと湖畔で写真を撮った。 撮った写真を見ながら「コーヒーがあるけれど飲む?」と彼女が勧めてくれる。今日の行程も長いのと、今コーヒーを飲むと、ずっとコーヒーが飲みたくなるので、残念ながら遠慮した。それにシエラの美味しい水を飲む貴重なチャンスなんだ。「去年だって、あれ以降、ずっとブルーベリーマフィンが頭の中で渦巻いていたんだから。」「今年は食料は沢山持ってきた?」「うん、クスクスとナッツを結構持ってきたよ。あとは醗酵豆(納豆)。僕はベジタリアンなので、プロテインは大豆から摂らないとならないんだ。納豆は食べたことある?」「私もベジタリンなの。と言っても、牛乳と玉子は食べるけれど。じゃないとアイスクリームもケーキも食べられないじゃない?でも、肉はもういいわ。もうベジタリアンになって長いの?この間、ベジタリアンになったばかりのハイカーに会ったけれど、ガリガリに痩せていたわよ。納豆は食べたことないのよ。豆乳は甘くて飲めないので、Rice Dream(お米のミルク?)は良く飲むわよ。」「豆乳、おいしいのになぁ。ビーガンになってからは半年だけれど、ペスカ(魚)ベジタリアンになってからは5年くらいなので大丈夫だと思うよ。もともと肉はそんなに食べなかったし、アジア人は腸がながいから野菜だけでも痩せないよ。ほら、脂肪もあるしね、あはは。」「なら大丈夫だわ。じゃぁ、私もテントを撤収するので、そろそろ行くわね。話せて楽しかったわ。」「僕も楽しかったよ。またどこかで会おう、多分、来年ね。」「また、来年。」 出会いもあれば、再会もある。きっと別れもある。山は人だと、昨日の昼食の残りのアンパンをかじりながら思った。アンパンはすっかり乾いてしまって、ぼそぼそだったけれど、とても美味しかった。 Mt. Whitneyまで235キロ。   [blogcard type="blog" handle="report/r-20250227"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250301"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250303"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250306"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250307"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250312"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250314"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250316"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250317"]

2007年のJMT day 4
レポート
2025/03/03
2007年のJMT day 4
2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆) *ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2014ATハイカー。   Blaney Meadow Trail~Evolution Lake Blaney Meadowにて  昨晩は、本当のところMuir Trail Ranchに寄って、あわよくばレモネードでも飲めたらなんて甘い考えを持っていたのだけれど、そもそもが目的地まで辿りつけず、開けた草地を見つけて眠ってしまった。熊袋は丁度よい細身の樹が二本並んでいたので間に挟み込んでおいた。学習するのだ。  5時半に目を覚まして、6時前に出発できるよう慌しく準備をしながら、熊袋を取りに行くと見つからない。そもそも挟んだはずの樹がみつからないのだ。だって、二本並んでいる樹が沢山在るんだもの。  こういうときにソロと言うのは不便だ。「ねえ、昨日、僕はどこに熊袋を置いたかな」と聞くことができない。三人寄れば文殊の知恵になるだろうに、頭の中で僕自身が増えたところでお莫迦ばかりになるだけで、みんな口を揃えて「知らない」と答えるだろう。結局のところ、口笛を吹いたり、手を叩いてみたり、「きっと、いいことあるさ」などとおざなりな慰めをするのだ、彼らは。  20分ほどかけて、ようやく見当違いの方角に熊袋を見つける。一体、どの自分が置いたんだろう。夜、見えなくなってから熊袋を隠すのはやめよう、と僕の頭の中の人々は口々に反省の言葉を唱えていた。  Mt.Whitneyまで178キロ   San Joaquin Riverにて  サンワーキン川沿いのひんやりした道を右手に見ながら陽の当たらない谷間を歩く。どこかで朝食を食べようかと思いながら歩いては見るものの、座ってのんびりと食べるには川沿いの道は寒かった。John Muir wildernessからKings Canyon National Parkに入ったと言うのに、朝から熊袋が見つからなかった精神的な疲れと寒さと空腹で、気持ちがささくれ立っていた。  前から馬に乗った人と、人を背負った馬がとことこと近づいてきた。多分、Muir Trail Ranchから朝の散歩に出た人だろう。「Good Morning.」と声を掛けると「Goodって言うには寒すぎるね。」と人が微笑みながら返してくる。力の抜き加減が上手いのだ。  なんとなく力が抜けたので、アスペンの低木の林を抜けながらMP3プレイヤーに合わせてハミングしながら歩く。いい匂いだった。そういえば、馬の方は朝から生真面目そうな顔をしていた。  8時を過ぎて谷間にも日が差し始める。青い日陰の川に彩が戻りはじめた。川に浮かぶ平たく大きな岩を見つけ、トレイルを降りて休むことにした。腰を下ろして流れを見るわけでもなく川の音を聞く。ごつごつとした岩にぶつかり大きな音を立ててサンワーキン川は谷間を流れていた。杉林に陽が当たり、深い緑色が川を染める。やがて青く陰気な川の空気を吹き飛ばすように朝がやってきた。その自然の営みは、陳腐なレトリックだけれど、涙が出るほどに美しかった。本当に涙がながれて笑ってしまったけれど、世界の片すみは美しかった。  Mt.Whitneyまで173キロ   Colby Meadowにて  馬や荷物を背負ったミュールとすれ違うときには、ハイカーが道を譲らなければならないのは判っている。でも、トレイルの真ん中で休憩をしているパックトレインを抜かすのは難儀だった。「山側の方を回って歩いてくれるかな?」と随分後のほうから奥さんが叫んだ。馬に蹴られるのも痛そうなので、黙って従う。先頭を馬に乗って引き連れていたおじさんが「ああ、君はウルトラライトハイカーか!それは何キロくらい担ぐのかえ?」と西部劇のようななまりで話しかけてきた。「わしらのお客さんもウルトラライトハイカーだよ。彼らは軽いだろうけれど、わしらは台所まで運ばにゃならんけどな、ふぁっふぁっふぁ」と歯の抜けた口で笑った。夏休みで家の手伝いをしている中学生くらいの息子は、父親の冗談を聞いて詰まらなさそうな顔をしていた。君の気持ちは良くわかるよ。父親の冗談は、たいてい面白くないものだもの。  Mt.Whitneyまで162キロ   Evolution Lakeにて  予定通りの宿泊地のEvolution Lakeに着いたのは18時半だった。自分で立てた予定なのに、ずいぶん珍しいこともあるものだ、と呆気に取られる。日没まで2時間あったが、これ以上を高度を上げたところでさらに寒くなるだけで、10キロ先の3500mのMuir Passは越えられそうにもない。だいいち、こんな綺麗なところで眠らないで何がハイキングか、と満場一致で採択された。パチパチ。  4100mのMt. DarwinとMt. Mendelから吹き降ろす風が心配で、風が防げそうな低木や岩がある場所を念入りに探しながら、湖畔と草地の間を登ったり降りたりしていると、湖が見下ろせる小高い場所に、これ以上の場所はないという寝床を見つけた。鹿がそばにいたので、「ごめんね」と言いながら場所を譲ってもらう。  今回の旅で初めてタープを張る。星が見えないのは残念なので、東の空が見えるようにタープを斜めに張って、綺麗に張れたと悦に入る。 さて夕食だ。調理器具を両手で抱えて、途中で見つけた見晴らしの良い場所に向かった。屹立する壁のような山から細く流れ出た雪解け水を汲み、大きな岩の上まで駆け上がった。湖に沈む夕日を見ながら夕食の支度をするなんて夢のようだ。心が浮き立つ。  岩の上で調理器具や防寒具を放り出して、慌しくお湯を沸かす。昆布と高野豆腐の入ったクスクスが戻る間、生姜味の葛湯を作り、準備は終わった。  雲に一度隠れた太陽が再び下から顔をだし、重く冷たい景色が赤みを帯びだしてくる。湖からはマスが飛び跳ねて湖に小さな波紋がいくつも出来てる。太陽が周りの景色を赤く染め、今日の終わりを告げた。太陽が沈んだあとも、茜色に染まった空は緩やかに夜の色と混ざり合っていった。やがてひんやりとした空気に包まれる。夕日が胸に入ったまま、僕はしばらく岩の上で寝転んでいた。   Mt.Whitneyまで156キロ   [blogcard type="blog" handle="report/r-20250227"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250228"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250301"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250306"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250307"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250312"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250314"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250316"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250317"]

2007年のJMT day 5
レポート
2025/03/06
2007年のJMT day 5
2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆) *ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2014ATハイカー。   Evolution Lake ~ Deer Meadow Evolution Basin(盆地)にて  朝もやの中を歩き進める。昨夜、泊ったのはEvolution Lakeの北側だったようで、?の形をしている湖の上側だったらしい。南側には美しく静かに細い湖が横たわっていた。  ミュア峠から続くEvolution盆地にはいくつかの湖が点在して、その間を川は繋いでいた。その浅く広く緩やかな流れはアラスカのスシイットナ川を思い出させた。トレイルは川を渡り、時には川の中に続いている。  Mt. Spencerの脇を通りぬけるころ、やっと太陽が姿を現そうとしていたのに、空は霞んだままだった。もやだと思っていたものは、先日インデペンデンスという町の付近で起きた火事の影響らしい。その煙が消えずに漂っているようだ。音ひとつない空が、余計に今日の暑さを予感させた。  9時ごろようやくワンダレイクに到着する。遠くからみると良い形だったが、近づくと大きな湖にもかかわらず、ゆっくりと座って足を湖畔に浸せる場所はなかった。それに、水際の岩には氷河蛙が座ってこちらを見張っているので、どうにも落ち着かない。足を冷やしてのんびり昼食を摂るのはミュア峠を越えてからにしよう、と歩き続ける。  ミュア峠には、ミュア小屋という石造りの避難小屋がある。風が強い峠を越えるハイカーが休めるように作られたらしい。小屋に着くと8人くらいのハイカーが写真を撮ったり休んだりしていた。ミュアハットでご飯を食べようと登ってきたのだけれど、風も強いし、人も多かった。誰もがグループや連れが居るようで、ソロの僕は居心地が悪くなって写真を撮ってさっさと峠を下ってしまった。人寂しいと、人疲れは時おり一度にくるからややこしい。  Helen Lakeに着いてやっと昼食にする。近づくと水はどこまでも透明だった。これまで見た湖で一番水が綺麗だと思う。大きさも手ごろで優しさを感じる。水を汲もうと近づくと、そばで水が流れる音がした。雪解け水が岩の隙間を伝い流れ、湖に注いでいた。出来立ての水を水筒いっぱいに入れて、水縁で足をひたす。期待を全く裏切らないほど水は冷たく心地よかった。  雪が溶けて山を伝って湖に流れ込み、一方で僕の体にはいり、一方で大きな川となって水は海へと流れていく。太陽に暖められて蒸発した海水は雲へと姿を変えて、再び雨や雪となって大地に降り注ぐ。水は大地を駆け、人や動物や草や木や岩を通り抜け、星を豊かにしている。今、汲んだばかりの水がいとおしく感じる。水の星の大きな営みの一部に自分がいることに感謝しながら、良く冷えた水を口に含んだ。    足を洗い、肉刺予防のテーピングを替えたあと、のんびりと青い湖を独り占めにする。目を閉じると、風は凪いで、ひっそりと水が岸にあたる音が聞こえるだけだった。ごめん、みんな。本当に、いい気分だ。  20分くらいした頃、北から歩いてきた人影が僕の10m先くらいに座り、同じように足を水に浸し始めた。独り占めでなくなって残念だったのが半分と、その人にも独り占めをさせたい気持ち半分で、いそいそと準備をして歩き始めた。少し離れてから振り返ると、その人は気持ち良さそうに足を冷やしていた。それはとても幸せな光景だった。  Mt. Whitneyまで145キロ   Conte Canyonにて  Helen Lakeからトレイルは急に高度を下げ、Le Conte Canyon(峡谷)を突き進んでいく。岩と石で出来たザレた道は歩きにくかったけれど、目の前に広がる峡谷は素晴らしく、時々、足を止めては景色を眺めていた。やがて後から、先ほどHelen Lakeで見た女性が歩いてきた。僕と同じように見晴らしの良い場所で立ち止まり「綺麗ね」といった。僕はうなづき、「Kings Canyonと言う名前の由来がわかるよ。本当にCanyon of Kingsだ。」と答え、僕は自己紹介した。彼女はケリーと名乗った。Kelly Greenと同じなので覚え易いのは助かる。昨日はどこに泊ったのか(お互いEvolution Lake)、今日はどこに泊るのか(僕の方が10キロほど先に泊る予定だった)、いつもどおりの自己紹介と情報交換をして歩き出した。  途中で岩場を下るトレイルに入ると、轍が消えてしまった。しばらくトレースを探していると彼女が追いつき、川のほうに消えていった。「ここから渡渉してトレイルが続いているよ。」と教えてくれる。トレイルは左に進み、緩やかな岩場を回りこみ右手に続いていた。川を渡るのは気が引けたし、岩場を歩くのが好きなので、岩を飛び跳ねて進んでいく。また、追い越してしまった。    小さな湖があったので、綺麗な水を期待して近づくと、一斉に氷河蛙が飛び跳ねて水中に入っていた。バシャバシャと賑やかに入るのが楽しいものだから、近づいては氷河蛙を飛ばさせてしばらく遊んでいるうちに、ケリーが近づいてきた。「何かいるの?」と聞くものだから、氷河蛙がいるのでからかっていたんだ、と素直に答えた。氷河蛙ってなんだ...。 「Yellow Leg Flogね。すごく珍しいのよ。この辺りじゃ、たくさん居るけれど、ほかでは見ないってNPRの番組で言ってた。」 蛙に詳しい人というのはなかなか居ない。JMTを歩いていると、歩くことが好きな人はいるのだけれど、自然に目を向けている人はあまり多くないので、驚いてしまった。 「さっき、Helen Lakeでこんな小さなおたまじゃくしを見たよ。あれは、この蛙なのかな。」と僕は親指と人差し指で5mmくらいの幅を作ってみせた。  大きな雲が流れてきて日陰を作った。「そろそろ、歩き始めたほうがいいよ。これ、雨になるわね。」と僕を促した。仕方ないので、氷河蛙と遊ぶのをやめて歩き始めた。はて。  急な下りを終える頃、再びケリーと会ってしまった。多分、ペースが近いんだろう。肉刺が出来ていてその治療をしていた。Tuolumne Meadowから歩き始めた彼女は僕よりも50キロほど余計に歩いている。肉刺もできて当然か。テーピングは?と聞くと、あれは効かないのよね、と言う。自分には上手くきくんだけれどね。じゃぁ、ワセリンは?と聞くと使ったことがないと言う。そかぁ。足元をみると親指だけ分かれた足袋のような靴下を履いていた。 「珍しいね。日本ではそういう伝統的な靴下があるけれど、こちらでは見たこと無かったよ。」 「ああ、これは自分で作ったの。本当は5本指ソックスが欲しかったのだけれど、見つからなくって。」 「ああ、REIで最近になって見るようになったけれど、あんまり売っていないよね。何はともあれ、冷やすのが一番。無理しないでね。」と僕は少しだけ同情して先を急いだ。  あ、と思い出して戻って振り返り、「ケリー、これ、使ってみて!」と叫んで、ワセリン(スポーツワックス)を投げた。ちょっと上に飛んでしまったけれど、みごとキャッチしてくれた。運動神経がいいんだ、この子は。 「僕はテーピングのほうがいいんだ。使ってみて!効くかもしれないし。」「ありがとう!!」と大きな微笑を送ってくれた。僕こそありがとうだ。  一人で気楽に歩いているうちに、岩場を流れる川を見つけたので頭を洗うことにする。水で洗うだけでかなりさっぱりする。ついでに靴下とTシャツも水洗いして、ナッツを食べながら寝転がった。雲がゆっくりと流れているけれど、雨は降りそうにも無かった。そろそろ行こうかと立ち上がると、馬とミュールのパックトレインが通り過ぎていた。彼らが通ったあとは埃っぽいので、もうしばらく休憩となってしまった。ま、いいか。  また、ケリーかと言われるけれど、再び追いつかれてしまう。肉刺の手当てをした彼女は、痛みがあるけれど、すっかり元通りの足取りで歩ける、と言った。良かった。僕は目の前のパックトレイルに阻まれて、追越をすることもできず、埃の中をのろのろと歩いていた。「追い越せないんだよね。」「まったく、パックトレインって人より早く歩くものでしょ!」と彼女はあきれていた。「せっかく、髪だって洗ったのに、これじゃ、余計に埃りまみれだよ。」と僕は帽子を脱いでみせた。「そういえばさ、朝、もやっていたでしょ?あれって火事だと思う?」「うん、私も気になっていたのよ。Le Conteレンジャーステーションで聞いてみようと思っているの。」「来る前のニュースでインデペンデンスの住民が退避(Evacuate)したって言っていたから、かなり大きな火事だったんだろうね。」「え?なんていったの?蒸発(Evapolate)??」「蒸発じゃなくて退避だよ。そんなことになったら大ニュースだ、あはは。」「だって、人間は70%が水なんだから蒸発だってするわよ...。」「確かにねぇ、あはは。蒸発かぁ。爆発事故だったらそうなるかもしれないけれど。」なんてくだらないことを話しているうちに、前を歩くパックトレインが小さな広場のような場所で休憩に入った。「こんにちは。今日はここで泊るの?素敵な場所ね!」と彼女が言う。愛想がいいのだ。 「そう、今日は、ここに泊るよ。」と、答えるおじさんは、昨日、道中であった親子だった。やれやれ。  Le Conteレンジャーステーションについたのは17時前だった。火事の状況を聞くと、小さな火事が3箇所で起きていたそうだ。どうりで煙いはずだ。どこに泊るのか聞かれたので、「私は5キロほど行ったGrouse Meadow、彼はDeer Meadowまで歩くの。」と替わりに答えてくれた。「Deer Meadowは遠いよ。」とレンジャーが言うので、歩けるところまで歩くよ、と答えた。それでいいんだ。日の入りまであと3時間か。  Kellyはレンジャーステーションの裏の川で足を冷やしてから歩くという。ありがとう、話せてよかったよ、と礼を言うと、「一人で歩くのは気が楽だけれど、話し相手がいるのもいいわね。君ならあと5日でホイットニーまで歩けるわ。」「うん、頑張ってみるよ。まずはDeer Meadowまで歩けるか心配だけれどね。」「You can do it!」と言って大きく微笑んだ。 ありがとう!と言って大きく手を振って歩き始めた。 Dear Meadowまで歩く。陽が沈んでも、開けた草原は現れなかった。替わりに小さな草地に鹿がぼんやりと現れた。ここには泊れない。かといって目の前には真っ暗な森があるだけだった。水を汲んで、一呼吸つける。21時だった。You can do it. 彼女の言葉が胸の奥でこだました。 さて、歩くか。 Mt. Whitneyまで123キロ   [blogcard type="blog" handle="report/r-20250227"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250228"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250301"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250303"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250307"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250312"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250314"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250316"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250317"]

2007年のJMT day 6
レポート
2025/03/07
2007年のJMT day 6
2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆) *ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2014ATハイカー。   Deer Meadow~Twin Lake  岩の上で目が覚めると星の光が目に入った。天の川はうっすらと消えかけ、川沿いに居るサソリは天頂部を越えて降りてきていた。多分朝4時半くらいだろう。  昨日は真っ暗な森の中を歩き続けても、一向に平たい場所がみつからず、パリセイド湖まで歩けばいいさ、と半ばやけになって熊鈴を鳴らしていた。ふと気がつくと、空が開け、黒々とした山のシルエットが覆いかぶさり、背景に青い星空が見えた。山の斜面には草木が生えていないようで、登ってみると寝るのに丁度良い平たい岩が見つかった。バックパックを下ろしグランドシートを敷き寝袋を広げてから、少し離れたところで朝食用のグラノーラをむさぼるように食べた。フリーズドライのラズベリーの酸味がたまらなかった。食べ終わると熊袋を手近な幹にくくりつけ、寝袋にもぐりこんで流れ星を待ちながら寝てしまった。  今日は8月15日。10、11、12と指折り数える。6日目だ。後半戦の初日は長い一日になりそうだった。3600mのマサー(Mather)峠とピンショー(Pinchot)峠を越えなければならない。一日に二度の峠越えは今日だけだ。早く発とう。起き上がって体をほぐす。朝、目を覚まして、すぐに歩き始められる幸せをかみしめながら森に入っていった。     一時間ほどで森を抜け、花崗岩が織り成すつづらおりを登りつめると、パリセード湖には9時前に着いた。随分時間がかかってしまった。水を汲むためにトレイルを外れて、テント泊に丁度良い草地のそばを流れるアウトレットに寄ると、小さなマスのコドモが流れに負けじと泳いでいた。可愛らしい。魚を食べることをやめた替わりに、この環境で泳ぐ魚たちを見るたびに貴さを感じるようになった。10分ほどの間にアウトレットには3匹ほどの子マスと、10センチほどのニジマスが僕のそばを泳いでいった。  パリセード湖はV字型の谷底にある湖で、トレイルはパリセード湖より少し高い斜面を這うように走っていた。両側には白い岩場が屏風のように切り立ち、所々に刈り忘れてしまったように木が生えている。湖畔に近づけないのが残念だが、峡谷は美しく、朝の湖は青く穏やかで、吹き降ろす心地よい風で十分満足だ。  湖が見下ろせる岩だなを見つけて朝食を食べながら、楽しそうに泳ぐ魚影を見ていると、アジア人の集団が歩いているのを見かけた。パリセード湖のアウトレット付近でみかけたテントの人たちだろう。追い越すのが面倒だったので、15分ほど休んでから出発した。彼らが休憩のときに追い越せるだろう。  パリセード湖からマサー峠までの5キロほどの道のりは、ただゆるやかな登りが続いている。ゆっくり歩いていると余計に疲れるのでリズムにのって歩いていると、すぐにさっきのアジア人のキャラバンに追いついてしまう。彼らは包囲法を取るエベレスト隊の様にゆっくり歩いていた。 「うしろから人が通りまーす。」と聞きなれた表現が耳に入ってくる。 「あ、日本の方なんだ。なつかし。」と口にしてしまうと、学生っぽい顔立ちの男の子が「はい。」と答えた。「がんばってね。」と追い越しながら、顔を見るのだけれど、だれもが無表情な顔をしていた。いつもへらへらしている僕とは大違いだ。  スイッチバックのトレイルを今度こそ頂上かと思いながら、ようやく峠に到着して、振り返るとパリセード湖が随分と遠くに見えた。峠の南側を眺めながら休んでMP3プレイヤーで音楽を聴きながら歌っていると、男性が一人登ってきて話しかけてきた。「あの日本人の集団は、君の友達かな?」やっぱり聞かれたか。 「いやいや、彼らは学生だよ。だいいち僕はそんなに若くない。」 「そうか。話しかけても全然英語が話せないようだったから。でも、ああやってゆっくりとはぐれないように歩くのは遭難しないためだろうね。英語が話せないから、助けを求められないし。」 「なるほど。僕なら、あんなに自由を奪われるくらいなら、遭難した方がいく分ましだよ。。」 「ソロハイカーはそう思うだろうね。」  南側から上がってきた、もう一人の男性が加わった。「俺が見る限りじゃ、25%はカップルだったね。ソロは25%だな。荷物が多くなるかも知れないけれど、どこでも好きなように歩ける魅力は捨てがたいよ。」 うんうん、と頷く。それにしても、僕らはみんなひどい格好をしていた。僕は頭にTシャツを巻いていたし、南側から来た人は、体中から色々なものがぶら下がっていた。一人だと気を配らなくなるので、そういうのはちょっと考え物だった。 Mt. Whitneyまで112キロ   ピンショー峠にて  マサー峠を越えてからは砂の色が褐色にかわり、粒の大きさが一回り大きくなっていた。砂埃が立たないのはありがたい。サウスフォークキングス川を越えると、良く陽の当たる緩やかな丘をトレイルは走っていく。屏風のような名もなき山を背景にいくつもの名もなき湖が転がっていた。ここに泊ったら星がたくさん見えるだろうな、と後ろ髪をひかれながら、前を目指してただ黙々と歩く。 どうにも、この辺りは看板に書かれている指標がでたらめで、あとどのくらい歩いたら良いものか当てにならなかった。そういう時はどうしても少なく見積もってしまっていた。  マジョリー湖に着いたときには大分陽が傾き、日没との競争には負けそうだった。赤い岩が織り交ざった花崗岩の岩山に囲まれ、湖が黒く沈み、採石場のように殺風景な土地だった。傾いた日差しがさらに赤く岩山を染め、広がる乾いた景色からさらに温もりを奪っていた。もちろん人影なんて見当たらなかった。ここには泊りたくない、そう思いながら出来る限り早く歩こうとするのだけれど、息苦しさのあまり立ち止まってばかりでちっとも進まなかった。何度も丘を越えるのだけれど、ピンショー峠は現れてくれなかった。  残照の中、なんとか3600mの峠の上まで這い上がる。新月が峠の脇のCrater Mtnの上に登っていた。心細くなるような細い月だった。峠の向こうには、今夜泊る予定だったTwin Lakeがぼんやりと見えた。歩けるだろうか。1時間、いや、2時間か。 後を振り返ると空が薄暗く赤に染まり、僕が来た山々がはるかシルエットとなって遠くに浮かんでいた。 風が吹き始めていた。なぜか、気分だけが良かった。 Mt. Whitneyまで96キロ   [blogcard type="blog" handle="report/r-20250227"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250228"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250301"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250303"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250306"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250312"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250314"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250316"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250317"]

2007年のJMT day 7
レポート
2025/03/12
2007年のJMT day 7
2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆) *ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2014ATハイカー。   Twin Lakes ~ Vidett Meadow 「靴が柔らかすぎたのかもしれない。」朝、4時45分に起きても足の裏の痛みはなくなっていなかった。マッサージをしてから、痛み止めのクリームを土踏まずに良く塗る。昔から、膝と足首に故障を持っているので気をつけていたのだけれど、足の裏が悪くなるとは...。あーあ。  昨晩、20時からピンショー峠を下り降りてくるときに、土踏まずで岩の上を何度も歩いたのが良くなかったみたいだ。長い間、固い靴で歩いてきた習慣が出来ていたんだろう。  テーピングを終えてゲーターをはめる。ゲーターのゴムは、既に擦り切れていた。ごめん。足裏の筋を伸ばさないように歩くと痛みはないようだった。気をつけるよ、足。  トレイルはウッズクリークをしばらく遡行する。朝の誰も居ない時間に水しぶきをあげて流れる川沿いを歩くのは爽快だった。朝、のんびりとコーヒーを飲みながら支度するのも楽しいけれど、朝食前に数時間歩けば、空が明けてゆき、鳥が目覚め、太陽がゆっくりと昇り山肌に立体感を与えていく瞬間を見ることができる。日暮れと同じように、この時間帯に景色を見ながら歩くのは幸せなことだとつくづく思う。  シダーグローブへのジャンクションに差し掛かるころ、下からソロハイカーが登って来るのがみえたので立ち止まる。 「おはよう。早いね。どこから歩き始めたの?」と声を掛ける。こんなことは町ではできない。 「すぐそこのウッズクリークを越えたところでキャンプしたの。あなたは?」めがねを掛けた愛想の良い学級委員のような女の子だった。 「ツインレイクのそばでしたんだ。川沿いは寒かったでしょう。」 「そうでもないわ。マウントホイットニーをスタートしてから、ずっと高地だったので、暖かく感じたわよ。ひさしぶりにぐっすり寝ちゃった。ギターレイクの方は寒いから気をつけてね。」これから寒いのか...。薄手のシュラフとタープではどうしようもない。 「これからノースバウンドでJMTを歩くんでしょ?エボルーション湖は夕日が綺麗だったよ。それほど寒くも無いからおすすめだよ。」 「夕日が見えるなんて素敵ね!ありがとう、上手く泊れるようにするわ。そのバックパック素敵ね。ストラップには何が入っているの?」 「ああ、ここにはバンダナとか靴下が入っているんだ。クッションが入ってないので、ちょっと痛いけれど。」 「へえ、面白いね。私のザックは友達から借りたんだけれど、大きくって、ほら、ウェストが緩くなってきちゃったのよ。これ以上、痩せられないわ。」 「でも、僕も痩せたから、きっと緩くなるねぇ。」 「ああ、やっぱり?服でも詰めて歩くしかないわね。じゃあ、そろそろいくわね。気をつけて!」 「ありがとう。君もね!」  ソロハイカー同士の話はやはり楽しかった。なんだか世間擦れじゃないけれど、段々とトレイル擦れしている自分がいて可笑しかった。スルーハイカーは割りと内向的な人が多いと呼んだけれど、普通の女の子も一人で歩くもんだ。 Mt. Whitneyまで85キロ    「あっつい...。」木々の色は涼しげだけれど、植物にさえぎられた細いトレイルは風をさえぎられてしまう分、直射日光が恨めしかった。小川を見かけるたびに頭から水を被り、濡れたTシャツを頭に巻いて、スポーツタイツを湿らせる。  `そうやって休んでいると、前から小汚い風体の兄さんがやってきた。 「はーい、どうだい調子は?」元気だ...。暑いね、ここは。と答えると、「そんなタイツを履いているからだよ。脱げば脱ぐほど涼しい。当然!俺なんて、ほーら、こんなに涼しげ」とおどけて見せた。まいったな。本物だ...。  彼はブラットと名乗った。Rae Lake近辺の岩山のオフトレイルを歩いてきたという。「途中で昼寝してたらよ、熊公に帽子を噛まれちゃったよ。ほら、みろ、これ。」と帽子を見せるブラット。見せられる僕。暑いんだってば。  「あ、そのアークのバックパックいいね。ネイオスでしょ?」と話題を替えてみると、とめどもなく話す話す。「いやぁ、山だと軽量スタイルじゃむりだよね。風もひどいし、岩には擦れるし。重いけれど、安全には替えられないねー」まぁ、JMTでは死にはしないから、僕は重いものは要らないけれど、とかなんとか返答する。  ゴアテクスのテントが欲しいのだけれど、アメリカじゃ売っていないんだって、漏らしていたので、日本で入手できるよ、と言って地図にお店の名前を書いて渡した。(おかげで、僕の手元の地図は5センチ角で千切れている。)  彼がメーカーに連絡したら、きっと困るだろうな、と想像すると可笑しかった。 ほんと、いろんな人がいる。 シエラネバダでは珍しい緑色の水をしたダラー湖を登り切ると、目の前にはトサカの形をしたフィンドームが頭を掲げ、レイ湖から流れ出た川が草原を深く静かに流れていた。緑の深さ、岩の形、雲の流れが、どことなくヨセミテ渓谷を思わせる。きっと、ジョンミューアが訪れたヨセミテはこんな穏やかな場所だったんだろう。あーあ、もったいない。汲みたての水を飲みながら、なぜかそんな風に思った。   Rae Lakeにて  レイ湖についたのは13時過ぎだった。JMTで一番綺麗な湖とものの本で読んでいたので期待していたら、屹立する山に囲まれた湖で威圧感があり、山から吹き降ろす風が冷たく体を掠める。  レンジャーステーションに寄ってもは誰もいなかった。この先のヴィデットメドウに熊ロッカーがあるのか確認したかったのに...。細い雪解け水がトレイルを何本も横切っていた。まだ山の上では雪が残っているのだろう。  レイ湖は北と南に別れていて、その中央をトレイルが走っている。湖の境に小さな砂浜をみつけ、トレイルを離れて荷を降ろした。朝から痛みが抜けない足を冷やし、朝食の残りのクスクスを食べていると、湖畔にカラスが二羽降りてきた。波が砂を洗う音と風の音だけが狭い谷に鳴り響いていた。  途中で出会った男性によると、ここからグレン峠に行くには、まず目の前の大きな壁のようなペインテッドレイディと言う岩山を登らなければならないと説明してくれた。目を凝らしてもトレイルなんてみつからない。なんど地図と山を見比べてみても、目の前の山に道が続いていくようだった。気が重い。  冷やした足から冷たい血液が体内を回ったのか、急に冷えてきたので防寒着を着込み、足のテーピングを替えて座ったまま冷たい白い足を見つめた。歩くしかないよねえ、と右の土踏まず揉みながら諭す。  乾いた靴下を履き、靴に足をねじ込む。頭の上では、大きな雲がどかどかと流れていった。  Mt. Whitneyまで76キロ  砂礫の城のようなグレン峠を抜けて、木々に囲まれたシャーロット湖を横目に見ながら下り進むと、何も無い砂の平地に抜け出た。ちょっとした野球なら出来そうなくらい平たい大地だった。こんなところに泊ったら星が綺麗に見えるだろうな、と空を青いで見る。もう夕方だった。ご飯を作る水がないんだ。そもそも飲み水もないや。はぁ。ヴィデットメドウまでは3.5キロだ。歩こう。  トレイルは再び森林に入り込む。勢い良く谷に降りていく。ヴィデットメドウにたどり着かないと、熊用のフードロッカーが使えない。僕の熊袋は、このセコイアナショナルパークでは役に立たない、と名指しでロッカーに書いてあった。ここで食料をとられたら、どの方向に進んでも三日は食べ物にありつけなさそうだった。あんまり気の利いたことではない。  木々の隙間からセンターピーク(中岳?)が見えた。大きな展望だった。トレイルは中岳にぶつかってから、右手に巻いて南下すると、今回の旅で一番高い峠フォレスター峠に続くはず。そこが最後の峠だった。明日は目の前に広がるこの土地を踏むのか。目に見える景色はずいぶん遠く感じられた。 Mt. Whitneyまで63キロ   [blogcard type="blog" handle="report/r-20250227"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250228"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250301"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250303"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250306"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250307"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250314"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250316"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250317"]

2007年のJMT day 8
レポート
2025/03/14
2007年のJMT day 8
2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆) *ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2014ATハイカー。 Vidett Meadow~Wallace Creek  夜中に何度か動物の気配を感じながら、ぐっすりと眠ってしまった。食料はスチールのコンテナに入っているので、熊に食われる心配は自分以外ないだろうから、と気にせずに眠る。  目が覚めると朝6時40分。昨日は焚き火に当たり久しぶりの太陽以外の温もりを味わいながら、ぼんやりと靴下を乾かしていた。眠るのが惜しくて寝袋にもぐったのが10時過ぎだったと思う。久しぶりにゆっくりと眠れた気がした。実際にそうなんだけれど。  ここから15キロほどのフォレスター峠は、ジョンミューアトレイルのサウスバウンドの最後にして一番高い峠だった。3,960mの峠なんてむしろ山だ。楽じゃないなぁ、とひとりごちて歩き始める。  トレイル沿いにはバブス川の水気のせいか、あるいはだいぶ南にまで来たのか、シダ植物が生えていた。ぬかるむ道や流れてくる冷たい空気が懐かしい。森林浴のような気分が味わえる森は緩やかな登りを経て、センターピークに近づくにつれて、木々がまばらになり、すっかり見慣れた乾燥した砂地へと変わってくる。右手に見えていたバブス川を徐々に見下ろすようになり、乾いた山が遠くに霞んで現れてくる。フォレスター峠はどれなんでしょうね。  持っているトムハリソンの地図は、トレイルを詳しく描いていないものだから、途中でどこにいるのかわからなくなってしまった。道はどこまでも一本道なのだけれど、所在地がつかめなかった。「これより先、焚き火禁止」と書いてある看板を通り過ぎたころ、小川が流れる小さな草原を見つけ腰を下ろして水を汲む。水の流れる音と、風の流れる音。目を閉じて世界の音に耳を傾ける。歩いていると、足音や衣擦れの音で意外に聴こえてこない。小鳥の声がどこかから聴こえてくる。世界は平和だ。  MacPacを背負った男女が通り過ぎていった。どこかで見た人だ...。どこだろう。本当、僕はどこにいるんだろう。  周りをすっかり砂と石と岩の景色に囲まれ、日光に晒されながら、埃っぽい道を、ただ、上を向いたり下を向いたりしながら無言で歩く。(時々、歌っていたかもしれない。)岩陰にはところどころ、申し訳程度に草が生え、濃い赤の小さな花びらのような葉を付けた植物が頼りなさそうに風に揺れている。小さなシマリスが物凄いスピードでちょろちょろして、思い立ったように草をかじっていた。時々、顔を横に向けてこちらに見ないふりをしながら、黒い大きな目でこちらを睨んでいたので手を振ってみる。愛想がないと嫌われるよ。  石の山に這うようにつけられた、どこに続くか判らないトレイルを、重い足を引き摺りながら歩く。何かの罰みたいな気分になってくる。岩を押し上げるシシュポスだよ、これじゃ。  フォレスター峠のすぐわきのジャンクションピークがようやく目の前に見えた。トレイルから少しだけ外れ、見晴らしの良い大きな岩の上で大の字になって寝てみる。ジェット機の飛ぶ音が近づき、空に大きく鳴り響いた。いつもよりも圧倒的にボリュームが大きかった。空がおかしいのか、飛行機がおかしいのか?と心配になって、ふと気がつく。ああ、ここが高いのだ。むしろ空に近いんだ。安心して目を閉じる。  この岩が転がって落ちたらシシュポスになってしまうと思いながら、あくびをしてトカゲのように昼寝をする。起きたら歩くさ。  12時50分、フォレスター峠の頂上にたどり着く。頂上にはマーモットがねっころがっていた。腹をつけてぐったりとしているものだから、緊張感が途切れてしまって、「最後の峠だ。やほー」などとガッツポーズをする気分がそがれてしまった。その上、風が強くゆっくりと頂上を満喫する余裕も無かった。岩陰で伏せるマーモットに「ごめん、もう少し詰めてくれるかな?寄せてもらうよ」と断ってから、身を潜めてトレイルミックスを食べる。ナッツやフルーツは最初に食べてしまって、味気ないグラノーラがほとんどだった。時々、マーモットが顔を出し、グラノーラが零れ落ちるんじゃないかと確かめていた。  南側から僕より少しだけ年上のような無愛想な男が登ってきた。バックパックには釣竿が刺さっていた。恐らく、ハイカーではなく、どこかのキャンプサイトから日帰りで来たのだろう。男は荷を降ろして、ジャンクションピークの上のほうに登っていき、岩場から何か赤い箱を取り出した。降りてきて確かめると、マルボロと日清のカップ焼きそばだった。なんで??と思っていると、目の前でお湯を沸かし始めた。頂上は畳を縦に二枚並べたくらいの広さなので、一部始終目で追ってしまった。ソースの匂いをかいだら、きっと我を忘れてしまうので、そそくさとグラノーラをしまって立ち上がる。 「腹、減っているか?」と言うと男は立ちあがり、「好きな方を取れ」とチーズ入りのリッツと小さなブルーベリーパイを差し出した。突然だったので、あ然としながら黙ってブルーベリーパイを取った。「ありがとう。お腹が減っていたんだ。」となんとか言葉にする。男は黙って頷くだけだった。お礼がすぐに言えなかったのが気恥ずかしくて、「じゃぁ、気をつけて」と言って峠を後にしてしまった。右手にはブルーベリーパイを持ったまま...。  フォレスター峠の南側斜面は北側の緩やかな登りにくらべ、絶壁のように勢い良く落ち込む。砂と小石の九十九折を走るように降りていくと、すぐに頂上は見えなくなった。いつまでも手に持ったまま歩くのもストックが使えないので、歩きながらブルーベリーパイを開け、口に入れると人口的な甘みが拡がった。リアルフルーツと書いてあるのに。あまり自分では買わないお菓子だな、なんて思いながら、男の無愛想な言葉を反芻する。「腹、減っているか?」 そんなに減っているような顔だったのかな。ふと気がつく。きっと、カルマだ。先週、ヒッチハイカーを拾って、1時間ほど離れたところに連れていったカルマが形を変えて帰ってきたのか。情けを掛けてもらったことが嬉しくて、パイを食べながら涙がポロポロと落ちてきた。美味しかった。生まれて初めて物を食べて泣いた。  なぜか可笑しくなって、泣いたり笑ったり食べたり、まるで子供だよ、と思いながら、意気揚々と峠を下りながら思う。僕はひどい偏食なので、食べ物を貰ったりあげたりするのが苦手だった。今度からは何か人に分けられる食料を持って歩こう。きっと、それは嬉しいことにちがいない。  大きな雲が、目の前の乾いた赤い渓谷を横切っていった。 Mt. Whitneyまで52キロ さえぎるものが何も無い。空はどこまでも広く、雲は大きく、草木がまばらに生えて、丘がどこまでも続いていた。今まで、ささくれのように地面から生えた岩山を歩いていたので不思議な気分だった。開放感が心地よい。元気なら走り出したいくらいだ。周りに岩山が無いということは雪解け水も期待できず、水場まではしばらく掛かりそうだった。  水も汲めないような細い流れが、歩いているうちに大きな流れとなっていく。小川の周りだけ芝生のような草が生え、小さな花が咲いていた。短い春が終わろうとしている。草に寝転び、空を眺める。雲は止まっているようだった。日差しが強いので、Tシャツを湿らせて頭に掛ける。あとは、この丘を降りて日が沈むまで歩くだけだった。あと50キロか。なんだか歩くのがもったいなかった。こんな素敵な場所を歩けるのが、たった一日だなんて。70年生きていけたら、、、25000日分の1日か。ほとんど、誤差みたいな数字に笑えてしまった。ほんと、たいしたことない。  洗いざらしの髪を乾かしながら、火星のように乾いた大地に這うように続く一本道のトレイルを歩いていると、緑色の服をきた小さな女性が歩いてきた。青山いたるところに人間在り、と言うけれど、土漠の中で人と会うのはなんとも奇妙な気がした。こんなに広い土地なのに、人とすれ違うのだ。道があるから当たり前なんだけれど。  近づいてみると、彼女はレンジャーだった。セコイア国立公園に入ってはじめてのレンジャーだ。歩き始めの頃は随分とたくさんの、それこそ一日4人も会ったのに、SEKI(セコイア&キングスキャニオン)に入ってからは、一人もトレイル上で会うことはなかった。レンジャーステーションがあるからと一人納得していたのだが。そのことをローラと名乗るレンジャーに言うと「そんなことないわよ。大規模な捜索があって、みんな借り出されちゃったの。」と教えてくれた。  いつもどおり、パーミットを確認して、僕からは熊の確認をして、歩き始める。些細な会話なのに、心が和む自分を見つける。一人で歩くことに慣れているのに、どうしたんだろう。ほんと。    ウォーレス川沿いにあるHST(ハイシエラトレイル)に到着したのは日も暮れかかった頃だった。キャンプサイトの対岸の乾いた草原で湯を沸かしていると蚊が数匹やってきた。南下したと言っても3000mなので蚊は元気がなかった。食事の準備を終えて適当な寝床を探すために歩き始めると、川岸にはベアーコンテナが設置してあった。ああ、ありがたい…というか、ここも熊が出るのか。  チーズマカロニを茹でている最中の先客のカップルに挨拶をすると、「ここまでたどり着けたんだね、なかなかの健脚だ。」と褒められる。でも、なんで知っているんだろう、と顔を見ると、何度かすれ違ったペアだった。名前をキムとビネッタと名乗った。アクセントと使っているバックパックのメーカーからニュージャージー出身だと思って確認すると、実際にはオーストラリア出身だった。(オーストラリアに登山というスポーツがあったなんて!)ヨセミテから歩いてきたと言う。こうやって、二人で歩けるのは楽しいだろうな。  明日はどこまで行くのかを確認してから、朝早く出発するので起こしたら御免ね、と謝っておく。彼らも早く出発するそうで、気にしなくても大丈夫、と言った。  クリークから水を汲み、夕暮れを見ながら食事の準備をする。SGT.M氏からお餞別にもらった醤(ヒシオ)をおかずにクスクスを食べる。8日間、塩味だけだったので味噌や醤油の味が懐かしく、なんとなく元気が出てくる。やっぱり、飢えていたんだな。。。  8時半には寝袋に入り込み寝てしまう。キムたちの小さな話声がしばらく聴こえたが、やがて彼らも寝てしまったようだ。木々の隙間から星空が見えた。風も無く綺麗な夜だった。 Mt. Whitneyまで21キロ Whitney Portalまで37キロ   [blogcard type="blog" handle="report/r-20250227"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250228"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250301"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250303"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250306"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250307"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250312"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250316"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250317"]

2007年のJMT day 9
レポート
2025/03/16
2007年のJMT day 9
2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆) *ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2014ATハイカー。   Wallace Creek~Trail Crest  まわりは朝5時だというのにずいぶん暗かった。ヘッドライトをつけて、キムたちを起こさないようにこっそりと準備をして歩き出す。 薄暗いトレイルはひんやりとしていて心地よい。ポールに結わえ付けた熊鈴は景気良く響いていた。熊は寝ているんだろうか。  勢い余ってか、クラブツリーレンジャーステーションへのショートカットなる分岐点を通り過ぎてしまい、クラブツリーメドウまで出てしまった。この辺りは、地図も看板もでたらめに書いてあって困る。クラブツリーメドウは牧草地になっていて、放牧用のキャンプがあるのだが、彼らの(つまりカウボーイの)手書きの地図がまたややこしくさせた。迷った人のために親切で書いてくれているのだけれど、手書きの古地図みたいで合戦の地図を思い出させた。目の前の小川がどこかに続くのだろうが、僕のコピーした地図は等高線と川の区別がつきにくく途方に暮れてしまう。  朝の牧草地は緑の葉が夜露できらめいて美しく、時折吹く風が春の香りを運んでくる。迷っているのに、心地よかった。やれやれ。  無事にクラブツリーレンジャーステーションに到着すると、丁度男性4人のグループが出発するところだった。今日はギターレイクまで行くらしい。僕がホイットニーまで歩くと言うと「そりゃ、大変だ」と肩をすくめながら言った。もぬけの空のレンジャーステーションを見学してから(綺麗な建物だった)、川沿いでしばらく朝食を食べる。最後の一枚になった地図を眺めて、どこで水を汲めるのか、今日中にどこまで行けるのか考える。頂上までの距離は13.5キロ。そのうち3.5キロは4000m以上の稜線歩きで息苦しいはずだ。大変だー、と仰向けになってバックパックを枕にして寝転がった。(あと10キロしか、知らない場所は続かないのか)。それにしても僕はすぐ寝転ぶなあ。  水田のように背の高い草の生えたティンバーライン湖を越えると、文字通り樹木は消えはじめ、そして例のごとく、岩と乾いた砂の景色が続き、頭の上はるかかなたをヒッチコック山とホイットニーの山塊が聳え立っていた。トレイルは細い岩の回廊を抜けていく。  最後の木陰で先ほどあった男性たちが休憩をしていた。良く見ると50代が二人、40代の太った男性が一人、30代の比較的体力のありそうな男性が一人だった。通り過ぎさま「がんばれー!」と声を掛けられる。息切れするものだから、とりあえず手を振って応えた。  ギターの形をしたギター湖に11:10にたどり着く。乾いた岩場から流れ出た細い川に沿うように草が生え、小さな花が咲いていた。花を踏まないように座って水を補給する。ここから、山を越えたキャンプ場までは水が無いだろう。そして、頂上まで、座って休める場所もないと思い、ゆっくりとくつろぐ。男性たちが追いついたので、しばらく会話をする。年配に男性の一人が10月に日本に行くと言うので、京都の秋は素晴らしい、ぜひとも行って見るべきだ、とアドバイスをする。行ったことが無いのだけれど、きっと素敵だろう。彼らは最後の水場があるギター湖に泊り、明日早く発って一気に下ると言う。素敵な考えだ。きっと、ホイットニー山の頂上で朝焼けが見られるかも知れない。すぐ東にあるデスバレーは全米でも最低の高度にある。確か-70mとか何かだ。そこから登る太陽を最高点の山頂から見るのは、なんだか特別な経験のような気がする。でも、今まで歩いてきた西側の世界が夕日に染まっていく姿を眺めながら、歩くのも同じように良い気分がするだろう。  彼らの健闘をたたえて歩き始める。最後の、本当に最後の九十九折のトレイルを登りつめていく。もう登りはないと思うと、苦しいのに、なんだかとても残念だった。  立ち止まって息を整えていると、ホイットニーを登ってきたばかりの3人組のグループとすれ違う。お互い苦しくて挨拶だけで済まそうとすると、最後のメスナーのような髭の男性が「ウィスパーじゃないか!」と声を掛けてきた。「ほら、見ろ、俺はG5なんだよ!!」とバックパックを見せる。あまり仲間の居ないメーカーのバックパックを使っているので、思わず声を上げてしまったらしい。僕だって、初めて使っている人を見たので驚いてしまった。「すぐに穴が空いて困るんだ」と変なところで合意して僕らは別れた。なんだか可笑しかった。  稜線のトレイルクレストに着いた頃に14時を回っていた。ちなみにクレストとはトサカのこと。ここから頂上までトサカの生えた稜線が緩やかに3.5キロほど続く。たった3.5キロなのに足取りが重い。本当は意気揚々と歩きたかったのに、苦しくてちっとも進まない。  スタートした時には、考えることがたくさんあったのに、残りが少なくなるにつれて、段々と考えることも減っていた。ただ歩くしかなかった。それは最初からずっと、ずっと続いていたんだった。  16:30。見慣れた観測小屋の立つ頂上に這い登る。僕のほかには、5人くらいの人がまだ残っていた。実のところ、去年の7月に頂上に来てしまっていたので、すでに見慣れた光景だ。初めてだったら感動したのかも知れないに...なんて思いながら、自分の写真を収め、風に煽られながら、見晴らしの良い場所に立つ。東の、下方には乾いた赤い大地が、北の眼前には灰色の尖った山々が見え、遥か北まで連綿と山が続いていた。  ここは4350m。アラスカを抜いた全米で一番高い場所だった。ならば、と風を遮る岩のシェルターを見つけお湯を沸かして、葛湯を作った。多分、ここで葛湯を作ったのは初めてだろう。暖かさと、甘さと、バカさ加減がなんとも愉快にさせた。(あー、楽しい。)と大きく息を吸った。  頂上の裏手に向かう途中、見えなかった西の空を眺める。北から西に目を流して、9日間の歩いてきた道のりを思った。スタート地点のすぐそばにあるリッター山は見えなかった。空は蒼く、山は大きく、世界は美しかった。頭を下げて礼をする。色々な人に出会った。南側に続く景色に頭を下げる。たくさんの人に支えられ、勇気を貰った。そう、結局のところ、登ったのは僕ではなくて、みんなの気持ちだったのかもしれない。「ありがとうございました。」僕はそう声に出して、頂上を後にした。   [blogcard type="blog" handle="report/r-20250227"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250228"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250301"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250303"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250306"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250307"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250312"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250314"] [blogcard type="blog" handle="report/r-20250317"]