2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆)
*ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2014ATハイカー。
Vidett Meadow~Wallace Creek
夜中に何度か動物の気配を感じながら、ぐっすりと眠ってしまった。食料はスチールのコンテナに入っているので、熊に食われる心配は自分以外ないだろうから、と気にせずに眠る。
目が覚めると朝6時40分。昨日は焚き火に当たり久しぶりの太陽以外の温もりを味わいながら、ぼんやりと靴下を乾かしていた。眠るのが惜しくて寝袋にもぐったのが10時過ぎだったと思う。久しぶりにゆっくりと眠れた気がした。実際にそうなんだけれど。
ここから15キロほどのフォレスター峠は、ジョンミューアトレイルのサウスバウンドの最後にして一番高い峠だった。3,960mの峠なんてむしろ山だ。楽じゃないなぁ、とひとりごちて歩き始める。
トレイル沿いにはバブス川の水気のせいか、あるいはだいぶ南にまで来たのか、シダ植物が生えていた。ぬかるむ道や流れてくる冷たい空気が懐かしい。森林浴のような気分が味わえる森は緩やかな登りを経て、センターピークに近づくにつれて、木々がまばらになり、すっかり見慣れた乾燥した砂地へと変わってくる。右手に見えていたバブス川を徐々に見下ろすようになり、乾いた山が遠くに霞んで現れてくる。フォレスター峠はどれなんでしょうね。
持っているトムハリソンの地図は、トレイルを詳しく描いていないものだから、途中でどこにいるのかわからなくなってしまった。道はどこまでも一本道なのだけれど、所在地がつかめなかった。「これより先、焚き火禁止」と書いてある看板を通り過ぎたころ、小川が流れる小さな草原を見つけ腰を下ろして水を汲む。水の流れる音と、風の流れる音。目を閉じて世界の音に耳を傾ける。歩いていると、足音や衣擦れの音で意外に聴こえてこない。小鳥の声がどこかから聴こえてくる。世界は平和だ。
MacPacを背負った男女が通り過ぎていった。どこかで見た人だ...。どこだろう。本当、僕はどこにいるんだろう。
周りをすっかり砂と石と岩の景色に囲まれ、日光に晒されながら、埃っぽい道を、ただ、上を向いたり下を向いたりしながら無言で歩く。(時々、歌っていたかもしれない。)岩陰にはところどころ、申し訳程度に草が生え、濃い赤の小さな花びらのような葉を付けた植物が頼りなさそうに風に揺れている。小さなシマリスが物凄いスピードでちょろちょろして、思い立ったように草をかじっていた。時々、顔を横に向けてこちらに見ないふりをしながら、黒い大きな目でこちらを睨んでいたので手を振ってみる。愛想がないと嫌われるよ。
石の山に這うようにつけられた、どこに続くか判らないトレイルを、重い足を引き摺りながら歩く。何かの罰みたいな気分になってくる。岩を押し上げるシシュポスだよ、これじゃ。
フォレスター峠のすぐわきのジャンクションピークがようやく目の前に見えた。トレイルから少しだけ外れ、見晴らしの良い大きな岩の上で大の字になって寝てみる。ジェット機の飛ぶ音が近づき、空に大きく鳴り響いた。いつもよりも圧倒的にボリュームが大きかった。空がおかしいのか、飛行機がおかしいのか?と心配になって、ふと気がつく。ああ、ここが高いのだ。むしろ空に近いんだ。安心して目を閉じる。
この岩が転がって落ちたらシシュポスになってしまうと思いながら、あくびをしてトカゲのように昼寝をする。起きたら歩くさ。
12時50分、フォレスター峠の頂上にたどり着く。頂上にはマーモットがねっころがっていた。腹をつけてぐったりとしているものだから、緊張感が途切れてしまって、「最後の峠だ。やほー」などとガッツポーズをする気分がそがれてしまった。その上、風が強くゆっくりと頂上を満喫する余裕も無かった。岩陰で伏せるマーモットに「ごめん、もう少し詰めてくれるかな?寄せてもらうよ」と断ってから、身を潜めてトレイルミックスを食べる。ナッツやフルーツは最初に食べてしまって、味気ないグラノーラがほとんどだった。時々、マーモットが顔を出し、グラノーラが零れ落ちるんじゃないかと確かめていた。
南側から僕より少しだけ年上のような無愛想な男が登ってきた。バックパックには釣竿が刺さっていた。恐らく、ハイカーではなく、どこかのキャンプサイトから日帰りで来たのだろう。男は荷を降ろして、ジャンクションピークの上のほうに登っていき、岩場から何か赤い箱を取り出した。降りてきて確かめると、マルボロと日清のカップ焼きそばだった。なんで??と思っていると、目の前でお湯を沸かし始めた。頂上は畳を縦に二枚並べたくらいの広さなので、一部始終目で追ってしまった。ソースの匂いをかいだら、きっと我を忘れてしまうので、そそくさとグラノーラをしまって立ち上がる。
「腹、減っているか?」と言うと男は立ちあがり、「好きな方を取れ」とチーズ入りのリッツと小さなブルーベリーパイを差し出した。突然だったので、あ然としながら黙ってブルーベリーパイを取った。「ありがとう。お腹が減っていたんだ。」となんとか言葉にする。男は黙って頷くだけだった。お礼がすぐに言えなかったのが気恥ずかしくて、「じゃぁ、気をつけて」と言って峠を後にしてしまった。右手にはブルーベリーパイを持ったまま...。
フォレスター峠の南側斜面は北側の緩やかな登りにくらべ、絶壁のように勢い良く落ち込む。砂と小石の九十九折を走るように降りていくと、すぐに頂上は見えなくなった。いつまでも手に持ったまま歩くのもストックが使えないので、歩きながらブルーベリーパイを開け、口に入れると人口的な甘みが拡がった。リアルフルーツと書いてあるのに。あまり自分では買わないお菓子だな、なんて思いながら、男の無愛想な言葉を反芻する。「腹、減っているか?」 そんなに減っているような顔だったのかな。ふと気がつく。きっと、カルマだ。先週、ヒッチハイカーを拾って、1時間ほど離れたところに連れていったカルマが形を変えて帰ってきたのか。情けを掛けてもらったことが嬉しくて、パイを食べながら涙がポロポロと落ちてきた。美味しかった。生まれて初めて物を食べて泣いた。
なぜか可笑しくなって、泣いたり笑ったり食べたり、まるで子供だよ、と思いながら、意気揚々と峠を下りながら思う。僕はひどい偏食なので、食べ物を貰ったりあげたりするのが苦手だった。今度からは何か人に分けられる食料を持って歩こう。きっと、それは嬉しいことにちがいない。
大きな雲が、目の前の乾いた赤い渓谷を横切っていった。
Mt. Whitneyまで52キロ
さえぎるものが何も無い。空はどこまでも広く、雲は大きく、草木がまばらに生えて、丘がどこまでも続いていた。今まで、ささくれのように地面から生えた岩山を歩いていたので不思議な気分だった。開放感が心地よい。元気なら走り出したいくらいだ。周りに岩山が無いということは雪解け水も期待できず、水場まではしばらく掛かりそうだった。
水も汲めないような細い流れが、歩いているうちに大きな流れとなっていく。小川の周りだけ芝生のような草が生え、小さな花が咲いていた。短い春が終わろうとしている。草に寝転び、空を眺める。雲は止まっているようだった。日差しが強いので、Tシャツを湿らせて頭に掛ける。あとは、この丘を降りて日が沈むまで歩くだけだった。あと50キロか。なんだか歩くのがもったいなかった。こんな素敵な場所を歩けるのが、たった一日だなんて。70年生きていけたら、、、25000日分の1日か。ほとんど、誤差みたいな数字に笑えてしまった。ほんと、たいしたことない。
洗いざらしの髪を乾かしながら、火星のように乾いた大地に這うように続く一本道のトレイルを歩いていると、緑色の服をきた小さな女性が歩いてきた。青山いたるところに人間在り、と言うけれど、土漠の中で人と会うのはなんとも奇妙な気がした。こんなに広い土地なのに、人とすれ違うのだ。道があるから当たり前なんだけれど。
近づいてみると、彼女はレンジャーだった。セコイア国立公園に入ってはじめてのレンジャーだ。歩き始めの頃は随分とたくさんの、それこそ一日4人も会ったのに、SEKI(セコイア&キングスキャニオン)に入ってからは、一人もトレイル上で会うことはなかった。レンジャーステーションがあるからと一人納得していたのだが。そのことをローラと名乗るレンジャーに言うと「そんなことないわよ。大規模な捜索があって、みんな借り出されちゃったの。」と教えてくれた。
いつもどおり、パーミットを確認して、僕からは熊の確認をして、歩き始める。些細な会話なのに、心が和む自分を見つける。一人で歩くことに慣れているのに、どうしたんだろう。ほんと。
ウォーレス川沿いにあるHST(ハイシエラトレイル)に到着したのは日も暮れかかった頃だった。キャンプサイトの対岸の乾いた草原で湯を沸かしていると蚊が数匹やってきた。南下したと言っても3000mなので蚊は元気がなかった。食事の準備を終えて適当な寝床を探すために歩き始めると、川岸にはベアーコンテナが設置してあった。ああ、ありがたい…というか、ここも熊が出るのか。
チーズマカロニを茹でている最中の先客のカップルに挨拶をすると、「ここまでたどり着けたんだね、なかなかの健脚だ。」と褒められる。でも、なんで知っているんだろう、と顔を見ると、何度かすれ違ったペアだった。名前をキムとビネッタと名乗った。アクセントと使っているバックパックのメーカーからニュージャージー出身だと思って確認すると、実際にはオーストラリア出身だった。(オーストラリアに登山というスポーツがあったなんて!)ヨセミテから歩いてきたと言う。こうやって、二人で歩けるのは楽しいだろうな。
明日はどこまで行くのかを確認してから、朝早く出発するので起こしたら御免ね、と謝っておく。彼らも早く出発するそうで、気にしなくても大丈夫、と言った。
クリークから水を汲み、夕暮れを見ながら食事の準備をする。SGT.M氏からお餞別にもらった醤(ヒシオ)をおかずにクスクスを食べる。8日間、塩味だけだったので味噌や醤油の味が懐かしく、なんとなく元気が出てくる。やっぱり、飢えていたんだな。。。
8時半には寝袋に入り込み寝てしまう。キムたちの小さな話声がしばらく聴こえたが、やがて彼らも寝てしまったようだ。木々の隙間から星空が見えた。風も無く綺麗な夜だった。
Mt. Whitneyまで21キロ
Whitney Portalまで37キロ