2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆)
*ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2014ATハイカー。
Evolution Lake ~ Deer Meadow
Evolution Basin(盆地)にて
朝もやの中を歩き進める。昨夜、泊ったのはEvolution Lakeの北側だったようで、?の形をしている湖の上側だったらしい。南側には美しく静かに細い湖が横たわっていた。
ミュア峠から続くEvolution盆地にはいくつかの湖が点在して、その間を川は繋いでいた。その浅く広く緩やかな流れはアラスカのスシイットナ川を思い出させた。トレイルは川を渡り、時には川の中に続いている。
Mt. Spencerの脇を通りぬけるころ、やっと太陽が姿を現そうとしていたのに、空は霞んだままだった。もやだと思っていたものは、先日インデペンデンスという町の付近で起きた火事の影響らしい。その煙が消えずに漂っているようだ。音ひとつない空が、余計に今日の暑さを予感させた。
9時ごろようやくワンダレイクに到着する。遠くからみると良い形だったが、近づくと大きな湖にもかかわらず、ゆっくりと座って足を湖畔に浸せる場所はなかった。それに、水際の岩には氷河蛙が座ってこちらを見張っているので、どうにも落ち着かない。足を冷やしてのんびり昼食を摂るのはミュア峠を越えてからにしよう、と歩き続ける。
ミュア峠には、ミュア小屋という石造りの避難小屋がある。風が強い峠を越えるハイカーが休めるように作られたらしい。小屋に着くと8人くらいのハイカーが写真を撮ったり休んだりしていた。ミュアハットでご飯を食べようと登ってきたのだけれど、風も強いし、人も多かった。誰もがグループや連れが居るようで、ソロの僕は居心地が悪くなって写真を撮ってさっさと峠を下ってしまった。人寂しいと、人疲れは時おり一度にくるからややこしい。
Helen Lakeに着いてやっと昼食にする。近づくと水はどこまでも透明だった。これまで見た湖で一番水が綺麗だと思う。大きさも手ごろで優しさを感じる。水を汲もうと近づくと、そばで水が流れる音がした。雪解け水が岩の隙間を伝い流れ、湖に注いでいた。出来立ての水を水筒いっぱいに入れて、水縁で足をひたす。期待を全く裏切らないほど水は冷たく心地よかった。
雪が溶けて山を伝って湖に流れ込み、一方で僕の体にはいり、一方で大きな川となって水は海へと流れていく。太陽に暖められて蒸発した海水は雲へと姿を変えて、再び雨や雪となって大地に降り注ぐ。水は大地を駆け、人や動物や草や木や岩を通り抜け、星を豊かにしている。今、汲んだばかりの水がいとおしく感じる。水の星の大きな営みの一部に自分がいることに感謝しながら、良く冷えた水を口に含んだ。
足を洗い、肉刺予防のテーピングを替えたあと、のんびりと青い湖を独り占めにする。目を閉じると、風は凪いで、ひっそりと水が岸にあたる音が聞こえるだけだった。ごめん、みんな。本当に、いい気分だ。
20分くらいした頃、北から歩いてきた人影が僕の10m先くらいに座り、同じように足を水に浸し始めた。独り占めでなくなって残念だったのが半分と、その人にも独り占めをさせたい気持ち半分で、いそいそと準備をして歩き始めた。少し離れてから振り返ると、その人は気持ち良さそうに足を冷やしていた。それはとても幸せな光景だった。
Mt. Whitneyまで145キロ
Conte Canyonにて
Helen Lakeからトレイルは急に高度を下げ、Le Conte Canyon(峡谷)を突き進んでいく。岩と石で出来たザレた道は歩きにくかったけれど、目の前に広がる峡谷は素晴らしく、時々、足を止めては景色を眺めていた。やがて後から、先ほどHelen Lakeで見た女性が歩いてきた。僕と同じように見晴らしの良い場所で立ち止まり「綺麗ね」といった。僕はうなづき、「Kings Canyonと言う名前の由来がわかるよ。本当にCanyon of Kingsだ。」と答え、僕は自己紹介した。彼女はケリーと名乗った。Kelly Greenと同じなので覚え易いのは助かる。昨日はどこに泊ったのか(お互いEvolution Lake)、今日はどこに泊るのか(僕の方が10キロほど先に泊る予定だった)、いつもどおりの自己紹介と情報交換をして歩き出した。
途中で岩場を下るトレイルに入ると、轍が消えてしまった。しばらくトレースを探していると彼女が追いつき、川のほうに消えていった。「ここから渡渉してトレイルが続いているよ。」と教えてくれる。トレイルは左に進み、緩やかな岩場を回りこみ右手に続いていた。川を渡るのは気が引けたし、岩場を歩くのが好きなので、岩を飛び跳ねて進んでいく。また、追い越してしまった。
小さな湖があったので、綺麗な水を期待して近づくと、一斉に氷河蛙が飛び跳ねて水中に入っていた。バシャバシャと賑やかに入るのが楽しいものだから、近づいては氷河蛙を飛ばさせてしばらく遊んでいるうちに、ケリーが近づいてきた。「何かいるの?」と聞くものだから、氷河蛙がいるのでからかっていたんだ、と素直に答えた。氷河蛙ってなんだ...。
「Yellow Leg Flogね。すごく珍しいのよ。この辺りじゃ、たくさん居るけれど、ほかでは見ないってNPRの番組で言ってた。」 蛙に詳しい人というのはなかなか居ない。JMTを歩いていると、歩くことが好きな人はいるのだけれど、自然に目を向けている人はあまり多くないので、驚いてしまった。
「さっき、Helen Lakeでこんな小さなおたまじゃくしを見たよ。あれは、この蛙なのかな。」と僕は親指と人差し指で5mmくらいの幅を作ってみせた。
大きな雲が流れてきて日陰を作った。「そろそろ、歩き始めたほうがいいよ。これ、雨になるわね。」と僕を促した。仕方ないので、氷河蛙と遊ぶのをやめて歩き始めた。はて。
急な下りを終える頃、再びケリーと会ってしまった。多分、ペースが近いんだろう。肉刺が出来ていてその治療をしていた。Tuolumne Meadowから歩き始めた彼女は僕よりも50キロほど余計に歩いている。肉刺もできて当然か。テーピングは?と聞くと、あれは効かないのよね、と言う。自分には上手くきくんだけれどね。じゃぁ、ワセリンは?と聞くと使ったことがないと言う。そかぁ。足元をみると親指だけ分かれた足袋のような靴下を履いていた。
「珍しいね。日本ではそういう伝統的な靴下があるけれど、こちらでは見たこと無かったよ。」
「ああ、これは自分で作ったの。本当は5本指ソックスが欲しかったのだけれど、見つからなくって。」
「ああ、REIで最近になって見るようになったけれど、あんまり売っていないよね。何はともあれ、冷やすのが一番。無理しないでね。」と僕は少しだけ同情して先を急いだ。
あ、と思い出して戻って振り返り、「ケリー、これ、使ってみて!」と叫んで、ワセリン(スポーツワックス)を投げた。ちょっと上に飛んでしまったけれど、みごとキャッチしてくれた。運動神経がいいんだ、この子は。
「僕はテーピングのほうがいいんだ。使ってみて!効くかもしれないし。」
「ありがとう!!」と大きな微笑を送ってくれた。僕こそありがとうだ。
一人で気楽に歩いているうちに、岩場を流れる川を見つけたので頭を洗うことにする。水で洗うだけでかなりさっぱりする。ついでに靴下とTシャツも水洗いして、ナッツを食べながら寝転がった。雲がゆっくりと流れているけれど、雨は降りそうにも無かった。そろそろ行こうかと立ち上がると、馬とミュールのパックトレインが通り過ぎていた。彼らが通ったあとは埃っぽいので、もうしばらく休憩となってしまった。ま、いいか。
また、ケリーかと言われるけれど、再び追いつかれてしまう。肉刺の手当てをした彼女は、痛みがあるけれど、すっかり元通りの足取りで歩ける、と言った。良かった。僕は目の前のパックトレイルに阻まれて、追越をすることもできず、埃の中をのろのろと歩いていた。
「追い越せないんだよね。」
「まったく、パックトレインって人より早く歩くものでしょ!」と彼女はあきれていた。
「せっかく、髪だって洗ったのに、これじゃ、余計に埃りまみれだよ。」と僕は帽子を脱いでみせた。「そういえばさ、朝、もやっていたでしょ?あれって火事だと思う?」
「うん、私も気になっていたのよ。Le Conteレンジャーステーションで聞いてみようと思っているの。」
「来る前のニュースでインデペンデンスの住民が退避(Evacuate)したって言っていたから、かなり大きな火事だったんだろうね。」
「え?なんていったの?蒸発(Evapolate)??」
「蒸発じゃなくて退避だよ。そんなことになったら大ニュースだ、あはは。」
「だって、人間は70%が水なんだから蒸発だってするわよ...。」
「確かにねぇ、あはは。蒸発かぁ。爆発事故だったらそうなるかもしれないけれど。」なんてくだらないことを話しているうちに、前を歩くパックトレインが小さな広場のような場所で休憩に入った。
「こんにちは。今日はここで泊るの?素敵な場所ね!」と彼女が言う。愛想がいいのだ。
「そう、今日は、ここに泊るよ。」と、答えるおじさんは、昨日、道中であった親子だった。やれやれ。
Le Conteレンジャーステーションについたのは17時前だった。火事の状況を聞くと、小さな火事が3箇所で起きていたそうだ。どうりで煙いはずだ。どこに泊るのか聞かれたので、「私は5キロほど行ったGrouse Meadow、彼はDeer Meadowまで歩くの。」と替わりに答えてくれた。「Deer Meadowは遠いよ。」とレンジャーが言うので、歩けるところまで歩くよ、と答えた。それでいいんだ。日の入りまであと3時間か。
Kellyはレンジャーステーションの裏の川で足を冷やしてから歩くという。ありがとう、話せてよかったよ、と礼を言うと、「一人で歩くのは気が楽だけれど、話し相手がいるのもいいわね。君ならあと5日でホイットニーまで歩けるわ。」「うん、頑張ってみるよ。まずはDeer Meadowまで歩けるか心配だけれどね。」「You can do it!」と言って大きく微笑んだ。
ありがとう!と言って大きく手を振って歩き始めた。
Dear Meadowまで歩く。陽が沈んでも、開けた草原は現れなかった。替わりに小さな草地に鹿がぼんやりと現れた。ここには泊れない。かといって目の前には真っ暗な森があるだけだった。水を汲んで、一呼吸つける。21時だった。You can do it. 彼女の言葉が胸の奥でこだました。
さて、歩くか。
Mt. Whitneyまで123キロ