2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆)
*ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2014ATハイカー。
Deer Meadow~Twin Lake
岩の上で目が覚めると星の光が目に入った。天の川はうっすらと消えかけ、川沿いに居るサソリは天頂部を越えて降りてきていた。多分朝4時半くらいだろう。
昨日は真っ暗な森の中を歩き続けても、一向に平たい場所がみつからず、パリセイド湖まで歩けばいいさ、と半ばやけになって熊鈴を鳴らしていた。ふと気がつくと、空が開け、黒々とした山のシルエットが覆いかぶさり、背景に青い星空が見えた。山の斜面には草木が生えていないようで、登ってみると寝るのに丁度良い平たい岩が見つかった。バックパックを下ろしグランドシートを敷き寝袋を広げてから、少し離れたところで朝食用のグラノーラをむさぼるように食べた。フリーズドライのラズベリーの酸味がたまらなかった。食べ終わると熊袋を手近な幹にくくりつけ、寝袋にもぐりこんで流れ星を待ちながら寝てしまった。
今日は8月15日。10、11、12と指折り数える。6日目だ。後半戦の初日は長い一日になりそうだった。3600mのマサー(Mather)峠とピンショー(Pinchot)峠を越えなければならない。一日に二度の峠越えは今日だけだ。早く発とう。起き上がって体をほぐす。朝、目を覚まして、すぐに歩き始められる幸せをかみしめながら森に入っていった。
一時間ほどで森を抜け、花崗岩が織り成すつづらおりを登りつめると、パリセード湖には9時前に着いた。随分時間がかかってしまった。水を汲むためにトレイルを外れて、テント泊に丁度良い草地のそばを流れるアウトレットに寄ると、小さなマスのコドモが流れに負けじと泳いでいた。可愛らしい。魚を食べることをやめた替わりに、この環境で泳ぐ魚たちを見るたびに貴さを感じるようになった。10分ほどの間にアウトレットには3匹ほどの子マスと、10センチほどのニジマスが僕のそばを泳いでいった。
パリセード湖はV字型の谷底にある湖で、トレイルはパリセード湖より少し高い斜面を這うように走っていた。両側には白い岩場が屏風のように切り立ち、所々に刈り忘れてしまったように木が生えている。湖畔に近づけないのが残念だが、峡谷は美しく、朝の湖は青く穏やかで、吹き降ろす心地よい風で十分満足だ。
湖が見下ろせる岩だなを見つけて朝食を食べながら、楽しそうに泳ぐ魚影を見ていると、アジア人の集団が歩いているのを見かけた。パリセード湖のアウトレット付近でみかけたテントの人たちだろう。追い越すのが面倒だったので、15分ほど休んでから出発した。彼らが休憩のときに追い越せるだろう。
パリセード湖からマサー峠までの5キロほどの道のりは、ただゆるやかな登りが続いている。ゆっくり歩いていると余計に疲れるのでリズムにのって歩いていると、すぐにさっきのアジア人のキャラバンに追いついてしまう。彼らは包囲法を取るエベレスト隊の様にゆっくり歩いていた。
「うしろから人が通りまーす。」と聞きなれた表現が耳に入ってくる。
「あ、日本の方なんだ。なつかし。」と口にしてしまうと、学生っぽい顔立ちの男の子が「はい。」と答えた。「がんばってね。」と追い越しながら、顔を見るのだけれど、だれもが無表情な顔をしていた。いつもへらへらしている僕とは大違いだ。
スイッチバックのトレイルを今度こそ頂上かと思いながら、ようやく峠に到着して、振り返るとパリセード湖が随分と遠くに見えた。峠の南側を眺めながら休んでMP3プレイヤーで音楽を聴きながら歌っていると、男性が一人登ってきて話しかけてきた。「あの日本人の集団は、君の友達かな?」やっぱり聞かれたか。
「いやいや、彼らは学生だよ。だいいち僕はそんなに若くない。」
「そうか。話しかけても全然英語が話せないようだったから。でも、ああやってゆっくりとはぐれないように歩くのは遭難しないためだろうね。英語が話せないから、助けを求められないし。」
「なるほど。僕なら、あんなに自由を奪われるくらいなら、遭難した方がいく分ましだよ。。」
「ソロハイカーはそう思うだろうね。」
南側から上がってきた、もう一人の男性が加わった。「俺が見る限りじゃ、25%はカップルだったね。ソロは25%だな。荷物が多くなるかも知れないけれど、どこでも好きなように歩ける魅力は捨てがたいよ。」
うんうん、と頷く。それにしても、僕らはみんなひどい格好をしていた。僕は頭にTシャツを巻いていたし、南側から来た人は、体中から色々なものがぶら下がっていた。一人だと気を配らなくなるので、そういうのはちょっと考え物だった。
Mt. Whitneyまで112キロ
ピンショー峠にて
マサー峠を越えてからは砂の色が褐色にかわり、粒の大きさが一回り大きくなっていた。砂埃が立たないのはありがたい。サウスフォークキングス川を越えると、良く陽の当たる緩やかな丘をトレイルは走っていく。屏風のような名もなき山を背景にいくつもの名もなき湖が転がっていた。ここに泊ったら星がたくさん見えるだろうな、と後ろ髪をひかれながら、前を目指してただ黙々と歩く。
どうにも、この辺りは看板に書かれている指標がでたらめで、あとどのくらい歩いたら良いものか当てにならなかった。そういう時はどうしても少なく見積もってしまっていた。
マジョリー湖に着いたときには大分陽が傾き、日没との競争には負けそうだった。赤い岩が織り交ざった花崗岩の岩山に囲まれ、湖が黒く沈み、採石場のように殺風景な土地だった。傾いた日差しがさらに赤く岩山を染め、広がる乾いた景色からさらに温もりを奪っていた。もちろん人影なんて見当たらなかった。ここには泊りたくない、そう思いながら出来る限り早く歩こうとするのだけれど、息苦しさのあまり立ち止まってばかりでちっとも進まなかった。何度も丘を越えるのだけれど、ピンショー峠は現れてくれなかった。
残照の中、なんとか3600mの峠の上まで這い上がる。新月が峠の脇のCrater Mtnの上に登っていた。心細くなるような細い月だった。峠の向こうには、今夜泊る予定だったTwin Lakeがぼんやりと見えた。歩けるだろうか。1時間、いや、2時間か。
後を振り返ると空が薄暗く赤に染まり、僕が来た山々がはるかシルエットとなって遠くに浮かんでいた。
風が吹き始めていた。なぜか、気分だけが良かった。
Mt. Whitneyまで96キロ