2007年のJMTセクションハイキングの様子。3度目のJMTハイキングにして、全線を歩き終えようと、レッズメドウからホイットニーまでの160マイルを足早に歩くいた記憶。(勝俣 Loon 隆)
*ハイカーズデポでトレイル整備やコンサルティングを担当してる勝俣隆(べーさん)はULハイキング黎明期の2000年代前半、在住のサンフランシスコから北米のULハイキング事情を日本に紹介してきたひとり。JMTはじめシエラネバダ全域にこの20年通い続けています。2014ATハイカー。
Twin Lakes ~ Vidett Meadow
「靴が柔らかすぎたのかもしれない。」朝、4時45分に起きても足の裏の痛みはなくなっていなかった。マッサージをしてから、痛み止めのクリームを土踏まずに良く塗る。昔から、膝と足首に故障を持っているので気をつけていたのだけれど、足の裏が悪くなるとは...。あーあ。
昨晩、20時からピンショー峠を下り降りてくるときに、土踏まずで岩の上を何度も歩いたのが良くなかったみたいだ。長い間、固い靴で歩いてきた習慣が出来ていたんだろう。
テーピングを終えてゲーターをはめる。ゲーターのゴムは、既に擦り切れていた。ごめん。足裏の筋を伸ばさないように歩くと痛みはないようだった。気をつけるよ、足。
トレイルはウッズクリークをしばらく遡行する。朝の誰も居ない時間に水しぶきをあげて流れる川沿いを歩くのは爽快だった。朝、のんびりとコーヒーを飲みながら支度するのも楽しいけれど、朝食前に数時間歩けば、空が明けてゆき、鳥が目覚め、太陽がゆっくりと昇り山肌に立体感を与えていく瞬間を見ることができる。日暮れと同じように、この時間帯に景色を見ながら歩くのは幸せなことだとつくづく思う。
シダーグローブへのジャンクションに差し掛かるころ、下からソロハイカーが登って来るのがみえたので立ち止まる。
「おはよう。早いね。どこから歩き始めたの?」と声を掛ける。こんなことは町ではできない。
「すぐそこのウッズクリークを越えたところでキャンプしたの。あなたは?」めがねを掛けた愛想の良い学級委員のような女の子だった。
「ツインレイクのそばでしたんだ。川沿いは寒かったでしょう。」
「そうでもないわ。マウントホイットニーをスタートしてから、ずっと高地だったので、暖かく感じたわよ。ひさしぶりにぐっすり寝ちゃった。ギターレイクの方は寒いから気をつけてね。」これから寒いのか...。薄手のシュラフとタープではどうしようもない。
「これからノースバウンドでJMTを歩くんでしょ?エボルーション湖は夕日が綺麗だったよ。それほど寒くも無いからおすすめだよ。」
「夕日が見えるなんて素敵ね!ありがとう、上手く泊れるようにするわ。そのバックパック素敵ね。ストラップには何が入っているの?」
「ああ、ここにはバンダナとか靴下が入っているんだ。クッションが入ってないので、ちょっと痛いけれど。」
「へえ、面白いね。私のザックは友達から借りたんだけれど、大きくって、ほら、ウェストが緩くなってきちゃったのよ。これ以上、痩せられないわ。」
「でも、僕も痩せたから、きっと緩くなるねぇ。」
「ああ、やっぱり?服でも詰めて歩くしかないわね。じゃあ、そろそろいくわね。気をつけて!」
「ありがとう。君もね!」
ソロハイカー同士の話はやはり楽しかった。なんだか世間擦れじゃないけれど、段々とトレイル擦れしている自分がいて可笑しかった。スルーハイカーは割りと内向的な人が多いと呼んだけれど、普通の女の子も一人で歩くもんだ。
Mt. Whitneyまで85キロ
「あっつい...。」木々の色は涼しげだけれど、植物にさえぎられた細いトレイルは風をさえぎられてしまう分、直射日光が恨めしかった。小川を見かけるたびに頭から水を被り、濡れたTシャツを頭に巻いて、スポーツタイツを湿らせる。
`そうやって休んでいると、前から小汚い風体の兄さんがやってきた。
「はーい、どうだい調子は?」元気だ...。暑いね、ここは。と答えると、「そんなタイツを履いているからだよ。脱げば脱ぐほど涼しい。当然!俺なんて、ほーら、こんなに涼しげ」とおどけて見せた。まいったな。本物だ...。
彼はブラットと名乗った。Rae Lake近辺の岩山のオフトレイルを歩いてきたという。「途中で昼寝してたらよ、熊公に帽子を噛まれちゃったよ。ほら、みろ、これ。」と帽子を見せるブラット。見せられる僕。暑いんだってば。
「あ、そのアークのバックパックいいね。ネイオスでしょ?」と話題を替えてみると、とめどもなく話す話す。「いやぁ、山だと軽量スタイルじゃむりだよね。風もひどいし、岩には擦れるし。重いけれど、安全には替えられないねー」まぁ、JMTでは死にはしないから、僕は重いものは要らないけれど、とかなんとか返答する。
ゴアテクスのテントが欲しいのだけれど、アメリカじゃ売っていないんだって、漏らしていたので、日本で入手できるよ、と言って地図にお店の名前を書いて渡した。(おかげで、僕の手元の地図は5センチ角で千切れている。)
彼がメーカーに連絡したら、きっと困るだろうな、と想像すると可笑しかった。 ほんと、いろんな人がいる。
シエラネバダでは珍しい緑色の水をしたダラー湖を登り切ると、目の前にはトサカの形をしたフィンドームが頭を掲げ、レイ湖から流れ出た川が草原を深く静かに流れていた。緑の深さ、岩の形、雲の流れが、どことなくヨセミテ渓谷を思わせる。きっと、ジョンミューアが訪れたヨセミテはこんな穏やかな場所だったんだろう。あーあ、もったいない。汲みたての水を飲みながら、なぜかそんな風に思った。
Rae Lakeにて
レイ湖についたのは13時過ぎだった。JMTで一番綺麗な湖とものの本で読んでいたので期待していたら、屹立する山に囲まれた湖で威圧感があり、山から吹き降ろす風が冷たく体を掠める。
レンジャーステーションに寄ってもは誰もいなかった。この先のヴィデットメドウに熊ロッカーがあるのか確認したかったのに...。細い雪解け水がトレイルを何本も横切っていた。まだ山の上では雪が残っているのだろう。
レイ湖は北と南に別れていて、その中央をトレイルが走っている。湖の境に小さな砂浜をみつけ、トレイルを離れて荷を降ろした。朝から痛みが抜けない足を冷やし、朝食の残りのクスクスを食べていると、湖畔にカラスが二羽降りてきた。波が砂を洗う音と風の音だけが狭い谷に鳴り響いていた。
途中で出会った男性によると、ここからグレン峠に行くには、まず目の前の大きな壁のようなペインテッドレイディと言う岩山を登らなければならないと説明してくれた。目を凝らしてもトレイルなんてみつからない。なんど地図と山を見比べてみても、目の前の山に道が続いていくようだった。気が重い。
冷やした足から冷たい血液が体内を回ったのか、急に冷えてきたので防寒着を着込み、足のテーピングを替えて座ったまま冷たい白い足を見つめた。歩くしかないよねえ、と右の土踏まず揉みながら諭す。
乾いた靴下を履き、靴に足をねじ込む。頭の上では、大きな雲がどかどかと流れていった。
Mt. Whitneyまで76キロ
砂礫の城のようなグレン峠を抜けて、木々に囲まれたシャーロット湖を横目に見ながら下り進むと、何も無い砂の平地に抜け出た。ちょっとした野球なら出来そうなくらい平たい大地だった。こんなところに泊ったら星が綺麗に見えるだろうな、と空を青いで見る。もう夕方だった。ご飯を作る水がないんだ。そもそも飲み水もないや。はぁ。ヴィデットメドウまでは3.5キロだ。歩こう。
トレイルは再び森林に入り込む。勢い良く谷に降りていく。ヴィデットメドウにたどり着かないと、熊用のフードロッカーが使えない。僕の熊袋は、このセコイアナショナルパークでは役に立たない、と名指しでロッカーに書いてあった。ここで食料をとられたら、どの方向に進んでも三日は食べ物にありつけなさそうだった。あんまり気の利いたことではない。
木々の隙間からセンターピーク(中岳?)が見えた。大きな展望だった。トレイルは中岳にぶつかってから、右手に巻いて南下すると、今回の旅で一番高い峠フォレスター峠に続くはず。そこが最後の峠だった。明日は目の前に広がるこの土地を踏むのか。目に見える景色はずいぶん遠く感じられた。
Mt. Whitneyまで63キロ